新生

ちなみに神曲は読んでません 

 

メンバー最後のひとりがいなくなるまで続けるんだよね?のくだり、Qで炸裂していたわたしは「かずちゃん実はQALみて泣いたクチ????」ってなりました(「QALの話」参照)。

曲を育てて…のくだりも、「かずちゃんそれわたしがよくゆうてるやつ~🤗」てなったし、その前の日経エンタではマントルから「わたし以外の誰に怒られたんや…?」ってなりました。
ははは。

 


イエローモンキーで人生始まって、わたし、音楽の仕事したことあるんです。
イエローモンキーとの「誠実であれ」みたいな約束がなかったら、適当になんも考えず長いものに巻かれてダラダラやれたら、バンドない間に、仕事で全員会ってた。
でもそうじゃなかったし、それでいて良かった。


わたしのヘッダはすきな女がカラオケで歌ったweezerのスクショで、
I've got your letter,and you've got my song

 


わたしが勝手にマントル刺さって発狂して投書するくらいで、もちろん届かなくて。

見てないようで見てない、

それがいんだよ~。

 

 

 

 

京セラドーム天国篇

閑話休題

 


真面目なガチオタなので、今回「お友達を誘って…」って言われたから、ほんとに3人連れていきました!!!!!
ウォー!!!!!!!!
誉めてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


お友達はみんな音楽が好きで、仕事にしてたりもして、しかもひとりは大阪ドームで白目むいてたメイツ。
これまでライブ誘ってもなかなか行く~ってならなかったので、執念でanniversary指定席当てて(旦那が)(旦那はきてない)、呼びました。
いやもうほんっっっっと、誉めて…。


ひとりはロックンロールがすきな人なので、前夜のおぴんくに革ジャン載ってて「行くのバレてんの?」てなったし、ひとりはブリリアントワールドが大好きなのでやっぱり「来るのバレてたの????」ってなりました。
始まる前に会えなかった子はanniversary指定席から「後家あのへんって言ってたなあ」「ていうか、やたら光ってるやつおんな…」って見てたらしいのですが、終わって合流したらわたしが思いっきりピンクのスパンコール着てて、「いやほんまにあんたかい!!!!」って言われました。

運命だね♥️

 


終わったあとめっちゃ「良かった?」「ほんとに良かった????」って聞いてしまったんだけど、ほんとに良かったらしいです。うふふ。

気を遣わせてないか一応気にしてるんですが、今日別件で「イエローモンキーなかなか頭の中で鳴りやまない」ってLINEがきました。

 

嬉しいな、
わたしのだいじな友達を喜ばせてくれて、イエローモンキーありがとう。大好きです。

 

 

 

あと!

お友達曰く、「俺らも最近ブギーとは何か、定義について語り合ったがわからんかった、ブギとはルーツが違うし」だそうです!

もうマークボランに聞きに行くしかないよな。

 

お友達(夫妻)にお誂えナイト過ぎ、しかもanniversary指定席は担当楽器に沿ったヒーセ側。「ロマンティスト、コピバンでやったことある」ってさ。

こんな奇跡あるんかいな。

京セラドーム地獄篇

取り乱してるので受け流して下さい。


結論としては、「19年前の大阪ドームで、完全に拒絶されたまま死に様みせられて白目むいてたわたし、を含む地霊の回収」だった。
代々木の裏だった。わたしには。

 

 

 

 

定刻5分前、DANDANのブラスに通じるあったかくて楽しいマイウェイ→見てないようで見てる、の導入。
ホンワカしたままメンバーでてきて、ホンワカあったかすぎて一瞬わかんなかったロマンティスト。
鶴舞のあの、障子紙破るタイプのバキバキ怒張ロマンティストとは違う、熟年愛のロマンティスト。
そのまま楽園、俺がどんだけ楽園が好きかよの楽園、からの、いない間もうどんだけ!どんな思いで聴いたかの!いい加減これ以上言わんけど!の、ロックスター。
 
2019年から愛をこめてジャガーとマリーの名を呼んだ名古屋とは違う、もちろんBIGEGG とも違う、
言い方悪いけど、3曲めまでで「今夜は歴史に残らないほうの夜だ」と思った。
2001年の大阪と同じように、歴史には残らない。でもあの日、お互いここにいた。
いまならあの俺とお前を抱きしめられる、みたいな、今夜ここにいる者だけがあっ、て察するあれ。


わたしこういうときだけいつもわりといい位置にいるよね(※福岡)☺️
完全に悔いの残らない服選んできたので、お席にふさわしいリアクションさせて頂きました~
巡回のヒーセに「ヨッシャヨッシャこのへん盛り上がっとんな!うむ!」ってハート頂いた区画の民草でした。

 

 

 

中盤のセンターステージは名古屋でもう観てるのに、それでも気持ちがピッと強張って笑えた。繊細ヤクザかよ。
代々木にいたおたくで、そのまま4年間ずっと絶え間なく大切にして貰ったのに。

 

「前の記憶があんまりなくて」
でしょうね!わたしもあのあと茫然自失でタクシーに鞄忘れて大変だった!!!


「なんかかわいいね(会場)」
お前だよ!!!!!!!!

 

わたしも記憶ないのに、まさかこんな日がくるとは思わなかった、不思議です。
よく寝たカナリヤ、掛け値なしで大好きになれたおJAM、
聴かせて欲しすぎたfourseasons。
あんときも、ほんとはこんなライブがみたかった。

 


わたしはこのときアリーナからずっと背中をみていたのですけど、アニーのハイハット生音とスピーカーから出る音でこんなに違うのか!(時差)とか、左腕が鮮烈に綺麗とか、みんな肩が最高とか普段見られないレア感をぶっちぎって、


いまこのバンドがいまこんなに強く在る、その背後に我々が配置されている演出?に、おこがましくもメチャメチャメチャメチャ心打たれてしまった。 


あんときあんなに儚い頼りない筏みたいな中央ステージで、今にもドームの暗闇の海に飲まれて沈んで見失うんじゃないか、みたいなメロメで、嘘みたいになんにもできなくて、


バンドに背負われてるんではない、アリーナのわたしたちはあれから何年経ってもみんななんか勝手に集まっちゃって、あんなにガーンてなったことも忘れて笑
素直にこのバンドが好きで、


そんな無自覚なわたしたちが、バンドがマイクスタンドをぶっ飛ばして今また「美しい希望の季節がすぐそこまで近づいてる」ってfourseasonsをやる、その足下に、基礎に、前盾後盾になれている気がした。

 

2001年には骨から身を切り離されるみたいに遠くに置かれたのに。


いや、おたくをやっていて、こんなに嬉しい扱いはないんじゃないの。
しらんけど。

 

 

 

 

 

 

続きます…

 

QALの話

「バンドがふたりになること」を、普段4人バンドがすきなわたしが、東名阪行って観てきた

彼らはフレディをこんなにも長い時間foreverでなくalwaysと思っていて、半身をもがれた痛みはそうする限り少しも癒えないのに、それでもなお未だ彼(ら)とともにあることを選び、わたしたちがそれを望んでしまう罪を赦してくれる

 

大阪の次の日、熟考の末名古屋は我慢しようと決めて、中島みゆき歌唱の「永遠の嘘をついてくれ」を鼻唄で歌って
…そのまま上司んとこいって「あした昼で帰らせてくれ!」って頼んで、翌日チケットないまま新幹線に乗り、震えながら1時間半並んで買えた当日券で5階の最上段からみました

 

ロック御三家ではQだけピンとこず、こないだの映画でやさしく魅力を教えて貰ったドにわかのミーハーで

えっ?自分そんなにQすきやっけ????って、多分わたしがいちばん思ってるんですけど、

さいたまと大阪で観たライブで彼らに灰ものこらんくらい燃やされて、そんなことしてくれる相手に対して、この先何かあってから「やっぱりあのとき観に行けば良かった~😭」なんて言って自分に酔う自分には、どうしてもなりたくなかった

 

 

 

 

LOMLでは映像のフレディがやってきて、わたしたちは彼の歌を聴いて心を震わせ、そしてまた見送った
去り行くフレディにタッチしようとして、手が届きそうで届かないブライアン、っていう信じられないくらい切ないシーンを、彼が明確に「日本でライブができるのはこれが最後かもしれない」って覚悟したツアーの最終公演で、見たりした

 

 

 

ブライアンはボウイとは違う方法で、逢えなくなっても星を見ればそこに自分がいるから寂しくはないんだよ、新世界だよ、と伝えてくれる星の王子様で
名古屋では日本音階を含んだ長い長いギターソロ、ギター語で、いまの気持ちを伝えてくれた
何故なら彼はギタリストだから
アダムちゃんは自分がどれだけQueenを、最高のショーを成し遂げるという同じ目的のために魂燃やす目の前のいまのブライアンとロジャーを、レジェンドとしてでなく生身の人間としてリスペクトし、愛しているか、歌うことで表していた 何故なら歌手だから
いやアダムちゃんの全身全霊のあの歌を聴いて、なんやフレディと比べるやつおんのか????😭✨


(ちなみに帰ってきてフレ音源きいたら単にますます好きになっただけだった、アダムちゃん、いまのQもまえのQも大好きにしてくれて、好きが2倍になっただけで、いやマジ天の使いかよ)

 

 

 

大阪でブライアンは39の前に「前に大阪にきたときは75(85?)年で、いま君たちはそのお客さんたちの、子供?子供の子供くらい?」って言ってて
歌の最後、pitty meのかわりに「僕は大丈夫」って言ってたんですよね
再会は叶わなくても、お客さんの瞳の中にフレディは生きていて
それが続く限りフレディは生き続けて

 

 

 

映像で幾度となく粉々に砕けた宮殿はshow must go onで逆再生のように蘇り、アンコール最後のwe are the championsで蟹ドーン!獅子バーン!からの、羽根の生えた乙女を映して、燦然たる黄金のバンドのロゴが完成する
フレディが、ジョンがいなくなって、この先いつか誰もいなくなっても、Queenのロゴも宮殿も永遠に残る
知っている人さえいなくなってしまっても、遠い未来に歌を聴いた誰かの瞳の中に、時間を越えて存在することができる

 

 

 

 

 

ミュージシャンとわたしたちは、たった一度同じ場所に居合わせ、たった一度同じ歌を歌うことで心を通わせられる
そしてそれをずっとずっと続く人生の約束にできる
初めて生でみたバンドから、最早疑う余地ないくらい完璧に教えられてしまった
this is the last dance this is ourselves、
お別れのあと、背中にheroesまで聴きながら

 

 

 

 

わたしは今回、「伝説を確認しに行った」んでも「目撃者になりに行った」んでもなく、


ただ、好きなバンドのライブを観に行って

 

それは、とても、しあわせだったよ

 

 

 

余談
名古屋から帰ったわたしさえ「めっちゃ疲れた泣きそう、ライブする側のブライアンロジャーなんか親の歳で、もうこんなん無理やん😭」ってグズり倒してたら、ブライアン翌日名古屋城行ってた

体力無限大かよ
帰りのタクシーのおっちゃんがメチャクチャ元気な84歳で、同乗者と、じゃあブライアンロジャーもあと2回くらいツアー来れるね!って言ったりしたけど、
いや、マジでくるやろ 
またきてね

 

んで今度は5万の席で観させてくれ!

人生のサビシリーズ「代々木の幕がよすぎる」

何回でもするし何回でも泣くし他人の思い出でも泣くんですけど、

代々木の幕。
代々木というか2016SJT幕。
2004年に解散しちゃったバンドの再集結で、1曲めがあのメチャクチャな別れ話みたいな曲で。

 

わたしは第1音のジャカジャーン!でマンガくらい泣き崩れて、それは一旦おいといて。幕。
あれタイミングとしてはかなり後、全員の「案外長いこと幕あるな」を経て最後の最後で落ちて、2段階キャーとしてもよい装置だなと思うんだけど。

 

一生中坊あるあるが出て恐縮ですが、JAM前夜、わたしは先に本を読んだりしてて、まあ憧れるのですよ
「感受性が鋭敏すぎるフラジャイルな魂」に。
ところがどうよ、本もふーんて感じだし、泣ける映画を観てもピンとこないし。
中学生でいきなりルイマルの鬼火は勝たん~、って話なんですけど、しょうがないじゃん中学生なんだから。

感性に選ばれた者は望むと望まざるに関わらず極彩色の情報を濁流のように流し込まれ、感覚器が悲鳴をあげていて、
それが羨ましかった。わたしは持ってなかった。わたしという容器は超デッドで、何度鈴を投げ込んでみても反響がなかった。

身体も感覚も存在するのに、スイッチがオフの状態で世の中に触っていた。
払っても払っても膜がぴったり張り付いて皮膚呼吸ができず、なんにも触れられない。
世界もわたしもここにあるのに、肌で触れられないんだと思っていた。

とはいえ劇的に冷めた中学生だったので「本当の自分、がつまり今のコレだろ」と思って逃げ場なかったし、じゃあ思春期の死にたいやつか?って答は否で、「死にたい気持ちにすらアクセス出来てない」。話にならん。
ポンコツは不幸だ。ダサすぎる。でも現実!


スキー合宿でメソメソして、同級生に「こいつ何言ってんだ…?」って顔をされたりしていました。

 


そこから20年はしょって、代々木の幕。
どの趣旨の発案だったかを知らないし、たとえば解散後のファンにはいよいよ幻がヴェールを脱いで現実に!とか、想像でしかなかったものが身を結んでいる御開帳を最大に盛り上げて、とか、全方向からめちゃくちゃいいよね。


でもわたしにはわたしだけの理由があって、あれはわたしへの

「お前の膜かなんかしらんけど、もうないから、これが隔てるものがない世界だ、直接その目で見ろ、触れ」でもあった。

 

 


忘れてたよ、そんなこと。
お前が代わりに覚えてくれてたのか(妄想)。

 

 

え、え~、すき…。

イエヲタ元日2020

~イエヲタの元日は1月8日です~

 

 

 

思春期とバンドのそれがニアミスしたおかげで、わたしのおたく活動は1996頃に、ゴリゴリの投影と摂取から始まりました
なんのリスクもなくバンドの音楽に乗って、たくさん夢をみました

休止され放り出されたあとは「信じたものは何だったか、自分はそれを信じ切れたか、そして起きなかった革命の後の人生」を踏み抜いて転向文学を読んだりし(一緒にすなよ)、
その後信じたものを捨て、自分の革命を成せず、果てない余生を手にしました

 

いま再びバンドがあり、わたしは好きでいることを選んでいます
バンドから受け取っていたのがつまるところ「誠実」だったので、育てて貰ったお礼に代えて、おたく業務理念にメインで導入しています(相手に関係ない)(しかも出来てないし)
するとどうなるかというと、生身の相手を消費すること、好きな理由が自分の快楽一方通行100%なこと、それを通してしまうことに、おたくとして毎秒躓きます

 

「俺を通して自分をみて」って言われても、わたしはあなたを自己愛の道具で終わらせたくないと、かなりの強火で思っています
一介のおたく、絶対に交差しない人間だし、反省し実践したところで本人に還元できない

だからこそ好きにやります
うっかりどっかに還元できたら、ポイントはイエローモンキーにつけてさしあげて下さい!って言えるしな?

 

もともと、イエローモンキー大好きじゃ~♥️だけ言うためにツイッターもアカウントを分けたのでした
政治の話も暴力や差別の話も、しなくて済むならしたくない、でも無理じゃんぜんぶわたしの話じゃん

こんな場面で考えるのをやめて目を伏せ耳を塞げなんて、イエローモンキーから教わらんかった

 

わたしがイエローモンキーやほかの音楽、文章、詩、映像から教わった誠実に基づいて、なんもできないけどそれでも!って食い下がる今日のわたしになったこと

これがわたしが彼らから貰った愛だったんだな、って、2020年始にいきなり実感を伴って気づきました

あと「お前がお前のロックスターと音楽でした約束はそれかよ!違うだろ!」と言った口では、今後わたしがわたしのロックスターに、モヤモヤを塗り潰して美辞麗句で肯定だけ紡ぐこととか絶対できないでしょ、ハハハ

 


バンド30周年に寄せてもっとめでたい話がしたい気持ちはあります笑
今更みたいだけどおめでとう、祝福してもし足りない
おたくは、バンドがない間のそれぞれの人生を経てきたあなたたちが、あの日進めなかった未来にバンドとして今こそ足を踏み入れる、新しい夢を見るところを、わたしではないあなたとしてしあわせになるのを、

 

あなたと違う目で、完全に違う感情を覚えながら見届ける

超エキサイティングだ

 

 

 

 

自分ほど信用ならないものはなく、余生は余生なりに長く、わたしの革命のタイミングは誰にも予測できず、きっとだれとも同じ形ではないんだろう
わたしは、あの日なれなかったもっといいおたくになりたい

自分が自分であることを賭して、どこまでも別人として、翻弄されたい

 

 

 

second comingらない

eien聴いてずっと倒れてる
すぐ聴いて!って急いでLINEしたお友達も、すぐ聴いてくれて、そのまま倒れてる
3日くらい経つけど未だに「いやいや、いやいやいやいや?」って2時間リピートしてる
しかしなんかみんな平気じゃない?静かじゃない?もしや死んだ?


2015年、またバンドやろうって集まった頃に作ったデモで、歌詞は一つの単語もないハナモゲ、曲はちゃんえま
音のヌケとか圧の扱い、明度、クリア感が「1998年の洋楽ロック」、しかも商業ベースがでかい、U2とかそういう当時の洋楽ロック
(そういうとこちゃんえま~!って思うし、このちゃんえまによる「ロック」解釈が、あんときの吉井和哉の圧倒的な歌謡UKサイケ「ロック」解釈をメチャクチャ鋭利にした立役者だ、どっちかだけならSICKS出来てないと思う)


2019年の今はもとより、2015年に仮にこれが出て、かっこいいかというと、わたしは微妙
いやおるけどこういう人、国内外問わず
それをわたしがイエローモンキーに求めてるかといえばそうじゃなく、でもやると言われたら受け入れたと思う
演奏してるメンバーは絶対にファッキンかっこいいし、この曲に吉井和哉が選んで乗せる言葉なら絶対鼻血噴いて寝込む自信もある

実際、歌詞とメロディで人生狂った吉井屋のくせにソロ追えなかったわたしが「(歌詞なくちゃんえま曲なのに)これか~!!!!!!」って頭抱えてしまったくらい、デモだけである意味イエローモンキーの本質感もある
カムバックの物語とあわせて、雑誌や世間がこれがイエローモンキー!と書き立てれば、まあ、そうかと、違和感少なく思ったりしてたかもしれないな

 

でも理由はわからないけど、この曲は現在に至るまで、発表されなかった
2016年に出たのはオーライだった(それはそれで「これで許すと思ったか…?」ってなったけど笑)

 

 

オーライに「この曲でぜんぶ許す~!🤗✨」とは全然ならなかったので、代々木でプライマル。聴くまでは自分の態度も決まらなかったし、オーライに現実の血が通って、彼らとわたしらのものとして、そういう装置として輝くのを見届けて納得するのに秋までかかった(北海道までの旅費もかかった)
そこからロザーナが、地味オブ地味に1対1で心にもう一度火を灯そう、ってしてくれたのを経て、
Starsで真面目すぎるオンタイムの夢をみて、horizonが出て、アルバムが出て
アルバムの1曲目なんかこの恋のかけらやん
イエローモンキーのアルバムの1曲目がよ?

 

どれも、わたしが暗に期待していた過去の魔法のパターンとは違った
予定調和を嫌いながらも、毎回「アレッ」で、己の安易な期待を恥じつつ、バンドがなにを伝えたくてこうしてきたのか考えて、黙々と軌道修正してきた
彼らがどんな方法でどこに行こうとしてるのか、実はわからないけど、ここまで来たらわたしもその旅一口乗るしかないわ~と思って、ついてきちゃった


で、今しれっと差し出されるeien
アルバムの後出しおまけつき完全版っていう、人めっちゃ選ぶリリースの、ボートラ(?)で

 

意図も意味もまだ発表ないからわからないけど、わたしは1997年にSICKS聴いてた高校生で、いや、だから、
これ、あり得たはずの楽園の続きやん
幻の1998年やん

 

 

 

楽園のあとに、夕暮れも秋もこなかったら
もっとうまく休むことを知ってて解散しなかったら
どれもそうはならずに、明けない夜と終わらない冬にのたうち回って死んだバンドで、だからこそ帰ってきて、季節が移って
人生にifはないから、今とこれからでどんな過去も越えていけるのを証明するんだと、バンドはそう思ってるかどうか知らんがわたしは、自分にそう言いたくて
eienが早々にリリースされてたら、オーライや他のシングルとは比べられないくらい、わたしはハチャメチャに大騒ぎした

そして今もうここにおたくとしていない
彼らがあの続きをまたやるんだ、楽園が永遠になったって言って、そこでわたしとバンドの旅は完結したと思う

手放しで全部許す!!!!!!って言った

未来はなかった
劇的じゃない自分の毎日を自分の足で歩く中、春にこの恋を聴いて、新しい映画を観始めるような気持ちになることはなかった

 

19年ぶりのアルバムツアー初日の静岡で、バンドが駆け上がって楽園が出てSICKSを出した頃の話をした吉井和哉が、「俺たちは、必ずまたあんなアルバムを作るから、あんな想いをまたさせるから」って言ったんですよ
おたく普通にウェーン!て泣いて、でもこんときととっくにeienは存在してたんだよな
持ってたのに出さなかった、ツアー全部終わってからペロッと出してきて
使える魔法があるのに、選ばなかった

 


eienがこのあと出なくてもいい
イエローモンキーの未来この路線でなくてもいいし、全振りして商業ロックのモンスターバンドとしてメディアに消費されたくってももうなんでもいい
誰にどんだけそう見られても、だってそうじゃないから
かつて自分の魔法で空に舞い上がったバンドが、「もう一度羽ばたけ」って言いながら実際にはeienで離陸せずに「少し歩こう」って、魔法以外で一緒に進む時間をくれたおかげで、
何者にもならなかったおたくひとりひとりの人生を否定せず心に火を灯してくれたおかげで、
1997年の魔法にずっと取り憑かれてたわたしというおたくゾンビは、やっとそこから自由になれた
誰かの伝説でも大御所でも思い出でもない、麻薬的な投影・逃避で自分をないがしろにすることもない、現在進行形のわたしや誰かの人生に鳴るただの最愛のロックバンドとして好きになれた

 


次のアルバムに入るかもしれないってね、

わたしはもう魔法がなくても好きでいられるのに
何度も言うけど使える魔法があるのに使わなかったんだよね、焦らしというか、しらんけど笑

ねえいつどのタイミングで出すの、2020年なら例えばどんな音になるの、なにを歌うの、

かつて「延々」って言たのが「永遠」に明るく進化して、どんな気持ちで歩いてくの

 

いやこんなん未来楽しみすぎるでしょ、眩しすぎてくらくらする

 

 

 


(ほんとは未来はみないでを聴いてから対にして考えようと思っていたけど、せっかちなので待てなかった)
(また訂正するかも)