東京ドの話 虹子

 

東京ド、行きました。
今のわたしは偏差値が3。

 


ギリギリまで人数と座席プラン調整してくれているであろうため、1週間前に入場時刻だけ届いて、席発表2日前。座席配置は現場にて。

しかもわたしはエラーで入場時刻「対象外」
発表された座席はアリーナABCDEFGHIJK、の、K

 

ケェー!!!!!(鳴いた)

 

入場時間は15時半(※開演18時)入場ゲートは後楽園(※隣の駅)!
3時間前に呼び出されて一駅先から心の目でライブ観んの、めっちゃおたくのこと試すやん…と思い、燃えました。

ちなみにK席のKは和哉のKだったので全部許した。あと制限退場で出たの21時半で、6時間拘束だった。長めのご休憩。

 

SEがライブ音源縛りで、あっ音楽好きなんだ〜わたしもです一緒〜☺🤝みたいな気持ちが懐かしくて、それも嬉しかった。
歓声ナシよの公演のSEにわざとshout it loud入れてくるとこ好きです。

 

 

吹っ飛んでしまったけれど、元はと言えば第2期の終幕として用意された公演で、
名古屋、大阪に続けて4月で区切りにしたかったのがこんなことになって、気持ちの整理とあとセトリどうするんだろう…こちらどんなテンションで、と緊張していたら、1曲目真珠色。


100万回聴いて勿論一字一句覚えてて解釈もストップ高だと思って久しかった歌詞、歌い出した瞬間に世界が全回転した。
再集結後の「時計回すの好っきゃな〜🤗」とかがまとめて押し寄せてきて、

「砂時計の悪戯を手品みたいに呼び戻して」
かわいいな、おぼこい願いだな、それ叶わないのうちらみんなわかってるけど、でも手品かなんかで戻ってほしいよね、素直に。
こんなんなって世界中どこも変わってしまって、わたしたちも変わらざるをえなくて、呑気に観に来た側よりもそりゃ抱えてるものが違うし不安だろ、いや可哀想なくらいガチガチに緊張してて、

でも再会にこんなぽやぽやのラブソングを選んでくれたんだなと。試行錯誤の愛撫を!散りばめながら!


愛〜…///

 

個人で出来る範囲の対策は半年間かなり頑張ったつもり、ライブ無理なのは仕方ないって思ってたけど、こんなにも音楽に逢いたかったと気づかされたというか、気づいてもいいと言われたというか。
尊敬する技術者は倉庫と機材を処分し、いちばん信頼した上司は年を越せるかギリギリ、友人たちの人生は宙に浮いたまま、みんな耐えてる。希望があるわけじゃないけど、どんな小さなきっかけをも待ってる。
このズタズタの廃墟みたいな状況下、誰も最初にやりますって言えなかったこと引き受けて、不安と緊張で気狂いそうだったと思うんだけど、腹括って現れるときにちょっと滑稽なくらい能天気な幼いラブソング、夢みたいな音楽を鳴らしてくれたの、最高によかった。
何もかも今ここで俺らの愛のために歌われる歌詞だった。

 

…コロナがなければこれ、おたくたちと即1杯390円の居酒屋に駆け込んで、ノート開いて歌詞一字一句つつき回して、あの瞬間わたしに伝えてくれようとしたことを一滴残らず回収するやつ!ファッキンコロナまじ。
いつも逢う友達も、必ず逢いたい友達もこなかった。会場にいる友達にも逢わない。


※この歌詞いじくり倒し会そのまま「2曲目なんでマーメイドやったん」の被害者の会になる
※代々木のAHEN、福岡メカラのマリーにくちづけずweddingdress、に続く、イエローモンキーセトリ3大許し難い行い

 

 

MC、「満員に見える」からの「細かいことはいいか、」もむちゃ照れた。未だに照れてる。恋人に逢うみたい。
違和感を気にしたらキリがないけど、それよりも逢えて嬉しかったし余裕なかったな。

 

 

以下探りあうようなセトリ、からの、中央ステージ移動、花吹雪、ブギー連チャン、
聞いてくれ〜K席ワイ、中央ステージドセン前から数列目で〜す!

 

大阪で、マイクスタンドバーン!倒す背中を花道脇から見ながら、一度失った関係がまた繋がって、今やその確かな後楯にして貰えてるのが嬉しくて泣いたfourseasons、
「それはそれとして正面からもみたいに決まってるからな?」ゆうてたやつ、
いや公式、わたしのツイッターみてた?ありがとう!


あとおJAMには去年からやられてしまってるんだけど、JAMずっと、彼が自身と特定のyouに向けて真摯な気持ちを証す歌で、我々はそれを鑑賞しいやしくも己になぞらえることを許されてる…んだと思ってて、いや、youの範囲に我々が含まれる場合があるなんて思ったことなかったのに、去年から含まれましたよね(幻覚)。
マジで俺もきみに逢いたかった。むちゃくちゃ逢いたかったです。
音楽を間に挟んで、双方向から同じ気持ちで同じバンドの未来を求めてる。
メンバー、めっちゃイエローモンキー好きだよね、わたしもです。同担〜。

 

あと、長生きしてたら、吉井和哉が東京ドにメロメを迎えにくる日が来るんだな…。
あの日は超絶湿っぽく、前後もわからず遠くに投げるしかなかったのを、トゥモロウの側から拾って、ちょっと期待と理想もくっつけて、またふわっと未来に託す、とかあるんだな。
メインステージで吉井和哉が一生懸命歌ってるのに、中央ステージはスタッフさんが普通に片付けしてて笑 それもよかった。
終わりの見えない長い冬に息絶えてしまったんだろうと思った、わたしとあなたのとびきり寂しい思い出として静止画に閉じ込めてたドームの🐞、我々もスタッフさんもライフが超ゴーズオンしてるこの場で再生ボタンが押されて、また次のどっかトゥモロウへ飛んでくんだなと思いました。


プライマル。が今再び旅立ちの曲として、「この寂しさはきっと再会に必要なスパイスだから、笑うとこだよ」だった。
代々木とは違って元の意味で、かつての悲痛過ぎる笑顔では既にないけど、それでも我々は旅立ちだけが人生。一緒にいた時間があれば、きっとお互い次の岸まで泳げるってやつ。しかも実証済。
個人的には2001年の「君の名は?この僕に何を残したい?」に文字通り呪われて、バンドに去られてひとりで20代と自分の人生を迎えて、あとは長い挫折と余生。
代々木で解凍されて、倍の歳になってまたこの曲でお別れをするにあたり、もう呪いがなくなってたことに気づいて、寂しくもあり。この言葉に呪われていない人生があることが改めて不思議だった。
つい掴んだ手もひらいてしまった、呪いさえ持たずにこんなんで、次の岸つくんかなわたし。

 

「球根の歌い出す寸前を一生みてたい」とか宗教ガンギマリの楽しい時間はあっけなく終わって、当初の予定では4月に物凄いの上がる筈だったろう花火は儚くて、一緒に見るはずだった景色、そこに一緒にいたであろう友達を思った。
こんだけ未来の約束をされて絶対大丈夫って言われて、それでも帰りたくなさ過ぎた。終わってしまうのが嫌で、サンキューメッセは聞きそびれてしまった。

 


しぶしぶ大阪帰ってきて出社したら、思いの外多くの人から声かけられた(会社におたくが多い)。
「イエローモンキーのドームがこのまま成功したら、中止になってしまったうちのライブもまたいつか必ず出来る気がする」

 

希望だった。
視野が狭ッ狭のおたくだったけど、みんなも止まってしまった自分の時間が動き出すときを、次の季節を信じて待ってる。
変わってしまった世界が、離れ離れになった気持ちが、再会出来る季節の兆しになれたなら。
誰がって、わたしと!わたしのすきなバンドが!

 

 

 

半年間、国に有効な対策を探ることさえ放棄され、有観客屋内公演のガイドライン=有事に誰に何の責任があるかも有耶無耶=なんかあったら全方位からとりあえず責められるような状況のまま、「100は無理だけどずっと0でみんなで滅びるわけにはいかない」「1なら、2なら、10までなら」ってギリキリまで退かず調整を重ねてなんとか可能性に踏みとどまろうとしてくれたと思う。正面から。
いや、日々保健所データ見て、スタッフ胃ちぎれてたくない?わたしなら毎日絶対窓から飛び降りたくなってる。関係者のみなさま、ありがとうございます、お疲れ様でした。

 

そして「先陣を切った英雄」「後に続くものたちのために先をゆく勇気」についてはもう皆さんに語ることをお任せして、あったり前に目の前の我々に向いたライブだったこと、大義の介入する余地のないいつもと変わらぬ愛あるセッ()であったことを、みんなが忘れても、現地にいた当事者のひとりとして覚えておきます。

 

歴史や遠くの誰かが後からどんな言葉で飾ろうとも、わたしは純粋に、こんな状況でもお互いがお互いを求めることを許されて、大好きなバンドに逢わせて貰ったことが、嬉しかったです。

 

 

 

追記

 


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毎日神経張ってガチガチに緊張してここに来た19000人の我々と、むちゃくちゃ来たいのに我慢したもっとたくさんの我々で、出来たことだと思った

いや長年「ゆうて真珠色の革命て、何ぞ」って思ってたけど、

これなのかぁ…