代々木(中)

終わる気しないのでできたとこまで…

 

 

⑥さらなる菊地英昭劇場


そして代々木のハイライトは間違いなくhorizon本人歌唱だったと思うのですが。


this isと違って完全アポなしの無茶振り、笑って断るのかなと思ったら、…了承するんですよ…。

 

自分の誕生日にライブを許し、自分の曲縛りで打線組むのを許し、拍手やら鼻歌やらで祝われたい放題を許し、あまつさえ歌まで(昔はコーラスも嫌そうだったのに)!

 

 

今夜の吉井和哉の愛の示し方があれもこれも盛り沢山花束にして、の形なら、それをえまさんは受け取る。
前者は愛されている確信を貰えて最早伸び伸びと愛を謳うし、後者は相手を信頼し、自分の相手への愛に疑いがないから、受け入れる。

 

なんという愛の示し方…
いやなに見せられてんの…?
(※闇が深いときは「おっさんのまどマギ」って呼んでる)

 

お忘れなきよう一応申しますが、前者は「失われた愛を求めて彷徨う魂」が受肉したマンこと吉井和哉なんですが。

菊地英昭、恐ろしい男…

 

誕生日に仕事させてしまう(?)ファンの暴力…って思ってたけど、暴力どころか肥やしがお花を搾取する心配すら100万年早いわ!と言わんばかりに(優し過ぎる)、この日「自分でやりたいことをやってます!」「全力おめでとう好き好き大好きちょう愛してる!」「苦しゅうない!」の愛でボコボコに殴打され、遠退く意識の中で、コロナの中でもフルスロットルで愛し愛されるのを差し控える必要はない…と理解させられたのでした。肉体言語で。

 

週3遊んでた友達に会えない、近所に住んでる家族にすら気軽に会えない、知り合いの店にも行けない、嬉しいことがあっても直接会っておめでとうも言えなくて、
電話やプレゼントで出来るだけ伝え合おうとするんだけど、どうにも大切な部分が擦り切れてしまった感じがずっとしていて、

そんな、ダシにするつもりなんかなかったのに、バンドがえまさんを祝うついでだから!ってまたバッシー懐入れられて、わたしが「今年やりたかった寿ぎ」と「今年やられたかった祝われ」をまとめてお焚き上げされて、かつ「今年はこうだけど、俺とお前は愛のある日常に必ず帰るんだよ!」と太鼓判をおされたようでした。


わたしもう中学生じゃないのに、いつまでもイエローモンキーは大人。

吹雪の中迷ったときに必ず信じられる、懐かしい灯台の火。

 


クズ社会(識者によると21年ぶりのライブ演奏)も、当時は幼くて吉井和哉が何と戦ってんのかなんてわからなかったけど、吉井式時限装置(その歳になったある日、いきなり何もかもわかる)発動により目と鼻からめちゃんこに水が出て、マスクの中で溺れそうでした。
20年以上前の歌詞、こんなに今ハマる?
キレキレの音とズブ濡れで重くて一歩も動けないみたいなメロで「あなたがいたから」って、それ今年、いまこの瞬間、全く同じことあなたがたに対して思ってるけど!
畳み掛けるメロディにシンクロして混乱が加速、最後マスクの中で叫び出しそうでした。
続く(セトリ最高)brakingもわたしの中では89年、崩壊する東欧と冬のファシズムを背景にした歌なので、それはあまりにも今だったし、そんな歌詞を当てさせるえまさんはやはりずっと時代に対してゴリゴリの覚者なんだな、と改めて思いました。