熊本後編
22日最終日、51列め端っこで、ツアーの、というか2019年イエローモンキーの完成形を観た。
何回見ても鮮烈にかっこいい佇まい、鬼タイトで野蛮な演奏、「ギリギリではちきれそう」と「貫禄」の皮1枚の絶妙過ぎるパフォーマンス、どれも充分すぎた。
倒れて立ち上がれなかったことがあるなんて信じ難い、この世でいちばんヤケクソから遠い、みてるこっちの腹に重く力が入る。
復活後に「掃いて捨てるほど愛の歌はある」が、この世の他のどの愛の歌とも徹底的に違う形の、でも間違いなく愛の歌なんだ…!と全身で気づいてしまったときから、だいたいがそう聴こえるおたくに進化したんだけど、曲、もうどいつもこいつも愛だった。
互いの人生の「この恋」に対して、より生きてる肉の、血の通った愛ばかりぶつけ合うライブ。
このツアーのパンチドランカーが震えるほどかっこよくて、
初日静岡で「(SICKSのくだりで)必ずまたあんな凄いアルバムを作るから、あんな思いをまたさせるから!」と言われたわたしは、この日風邪引きずって台風の中辿り着いたオーラス熊本で遂に、SICKSの次、もっと上、あのとき行くはずだった未来に、じゃあ今またここから再開な!って言われたみたいだった。
パンチドランカーってアルバムの、「最愛のバンドが闇に追いつかれてしまう予感」に、SICKSハイパー覚醒からの展開の速さに、高校生のわたしは向き合えるわけなかったので。
他の人には抜き差しならない大事な思い出の曲だと思うけど、わたしには、2019年にやっと初めて聴けた、20年分全開ぶっちぎりのラブソングでした。しみ~!
この日はスカパーさんで中継があって、今日こられない人、ライブこない人、ファンでない人にも伝わる「全方位形パーフェクトイエローモンキー」をやってた。完璧だった。
みんなが求めるかっこいいバンドの、ここまでの3年の名場面を全部最高の状態でキメにキメ切った。
テレビが欲しい画、わたしは51列めで顔なんもみえんけど、それでも500点満点にかっこよくて、かっこよすぎてちょっと脱力した。
こうなってしまっては「わたしだけのイエローモンキー」要求は控え、今夜は「みんなのイエローモンキー」に最大の拍手をして終わろうぞ!
前の日もあった、自分の立ち位置(マントル)も曲との距離もバミれてる、今日はみんなでみんなのイエローモンキーをつくれて、わたしも満足だよ~!ハッピーエンド!
って思ってたら、アンコール終わってボナペティのあと、また出てきた。
なんかウフフみたいに言って(動転して忘れた)、犬小屋。
覚えてますか、1月8日東京ドームの犬小屋。
ぜんぜん笑えないギャグで誤魔化して、いやお前もぜんぜんわろてへんやんけ…みたいになった犬小屋。お互いがあの曲の持つはずの魔法にすがった瞬間。わたしが最後にみたイエローモンキーのライブ(例のJAMはみてない)。
あれから何度か嬉しい犬小屋も聴いたけど、今、さっきまであんなに「かっこよくて幸せで楽しいみんなのイエローモンキー」をやり切って、最強の最大公約数をぶちあげて、そこからトコトコって出てきて、
思いっきり中指立てた全開の猛毒。
「みんなの望むかっこいい姿」を不敵に笑ってぶち壊して価値観をめちゃくちゃにする、悪魔に魂売ったみたいな音楽。
誰にも言えないようなやり方で、一撃で知らない世界に連れていかれる、
昔わたしが熱狂したイエローモンキー。
これ次の待ち合わせ、ドームなんだよ。
※このあと翌日まで「す、すき…」しか言えなくなった、セックス大優勝のときと症状全く同じで笑った。
バラ色のさいご、「I want power、flowers、a future、preasure」を終わってからもずっと噛み締めてる、fourseasonsの「勇気が足りない力が足りない時間が足りない」と合わせて思い出してる。
やりたいこと守りたいもの伝えたいこと、
たくさんの人を抱えて期待を身に受けて、努力に次ぐ努力でそれを全部満足させて、邪魔するものを凌ぐ力を、どんな季節も越えられる力を、今夜のような
勇気はもういくらでもあるのに、でもなにをどれだけ頑張ってもどうにもならなかったりした。
だから「I'm just a dreamer」に尽きるんだろうし、猛々しく歌われるから見過ごしてしまってたけど「are you a believer?」って、いやそれなんて儚くてかわいくていじらしいんだよ。
わたしが過去吉井和哉から投げつけられた歌詞でいちばん刺さったのは「君の名は?この僕に何を残したい?」なんだけど、んで「ビリーバー」てしんでも自称しないタイプのFC 会員441x番の狂人なんだけど、
それもぜんぶ含めてツアーの総括?は、
イエローモンキーの音楽を信じてる。
あなたの夢が叶いますように。
わたしは絶対に投影で自分を疎かにしたりはしない。
でも、あなたの夢に、全額賭けてる。
JAM 23年漬けの
熊本後編になかなかたどり着かない…
わたしがこのツアーでいちばん聴こえ方が変わったの、JAMでした。
中坊あるある(前エントリ参照)、初めてイエローモンキーのリアルタイム新曲に立ち会った曲で、反対されてる話をさんざん聞いて、渋谷陽一がポップジャムのテーマにして毎週レベルで出演させてたのを毎回正座で録画して、あと人生で初めてシングル予約してポスター貰ったりした。
中原さんの話も、歌わされたまま立ち去られたおたく残酷物語も、復活後に知ることができた。
SJT以降ツアー各所で、押さえきれない感情のワア…で会場が満ちるのを聴いた。
紅白のときに新聞広告出したのかっこよすぎて泣いた。紅白本番の清潔さに泣いたし、そこに集めすぎて疲れちゃったフェス→2度と誰もひとりにしないってバンドがサヴァイヴしたのもむちゃ泣いた。
でもおたくだから、他に思い出の曲が多すぎて。自分だけの曲がありすぎて。
JAMに絞れること、みんなが知ってる馴染みの曲がなによりのおかえりとただいまになることからは、実際距離を感じてた。
性格、難ありすぎ~!みんなの素直さが実は羨ましかったです。
4月、初日静岡♦️でchangesからのJAM、弟曲を見守る兄曲であるとともに、アルバム発売でもう解散がないことが証明されて、やっと「伝説」や「役割」や「最大公約数」から解放されて、「イエローモンキーの曲のひとつとして等しく愛されるようになった子ども」みたいで、勝手に嬉しくなった。
「儚さに包まれて切なさに酔いしれて影も形もない」って、life on mars?の思い出やらミックロンソンのlove me tenderを夜中のラジオで教えてくれた頃を思い出して、ずいぶん昔にこんなときあったなぁ、始まりの前の夜みたいだったなぁ~みたいな(いくらでも出る中坊あるある)。
様子が変わってきた(わたしが)のは大阪から、会場を満たした万感のワァ…、おかえり、ただいま、のどれにも、最大公約数を経験してないつもりの、蚊帳の外のはずのわたしまで、含められていた。
広島のときは、ニュースもTLも京アニのテロで持ちきりで、思い入れゼロのわたしが、他の人を差し置いて悲しんだり心を痛めたりするのはあつかましいようで気が引けて、感情に結びつけないように情報だけ見ていた。
そしたらJAMが急に「きらきらと輝く大地できみと抱き合いたい」ってこれ以上ないくらい切ない願いを素直すぎる言葉でモロ出ししてきて、勿論「この世界に真っ赤なジャムを塗って食べようとするやつがいても」が続くんだけど、
いや、わたしだって、関係ないのにショックだったわ、めちゃくちゃショックだったわ、って認めざるをえなくて、
普通にウワーン!てなってしまった 笑
よしいかずや、わたしがわたしに隠してることぜんぶ暴くやん!
あなたもわたしも離れていても、同じように歌で夜を越えて、未来の自分に期待するんや、って、手を取ってくれるような。
あとは例の神戸気が狂った事件。
このとき、おぴんくと前日MCで全裸監督の話してヘラヘラしてたことにめちゃくちゃ怒ってたんですけど。
黙って即退場出来なかったのは執着と、前の日の球根で「は?退場できるわけなくない?」って逆ギレしてたからで、退場しないなら首相撲しかない…って発狂して、アンケートにも公式にもご意見しました。
読まれるかどうかは問題でなくなってて、あとはこれでわたしの心が動かなくなれば、もしかしてもうだめなのかな…と思って恐る恐る聴いたJAMの、やっぱり2番。
「きらきらと~」からの「過ちを犯す男の子涙化粧の女の子 たとえ世界が終わろうとも二人の愛は変わらずに」が、
「お互い途中何回間違えて傷つけあっても、一緒に居たいのは嘘ではない、こんなにも」に聴こえてしまって、
そら、もう、大変すわ。
誰かに向かってこんなこと叫んでる人と、それに向かってだいたい同じこと絶叫してるわたしが、対象は違っても同じ夢を見られないわけ、なくない????という謎理論で爆発しました。
わたしだって、そうです。
(ちなみにこの日は別の話でも大爆発した)
23年間、歌は変わらないのにね。
というより、ずっとそんな曲だった。
誰にもそう歌われてた、話聞いてないわたしにもずっと、向けられていた。
最終日熊本で聴いたJAMは、changesのあとにまたちょっと照れながら誇らしげに出てきて、「成長して、紅白にも出て、みんなから搾取消費でなく暖かく求められて、いまや報道番組のエンディングテーマになって、ああ大人になったねえ、の大団円~fin~」が出た後、
1人になって部屋に戻って、眠ってしまうまでの時間、またここから身一つで、あのときと同じように、さらに魂が震えることを始めようと決心してるみたいに聴こえた。
わたし今めっちゃくちゃ人生迷ってるし、とてもじゃないけどchanges聴いて月見てオヤスミ✨していいような状況じゃないんです、毎日毎日。
頑張れもああしろこうしろも言わない、
でも、僕は何かを始めようとしてる、って、
そんな熱湯みたいなハグがあるかよ。お前から。
ここまで、ぜんぶ、おたくの幻聴。
この幸せな5ヵ月の、忘れたくないわたしだけの幻聴。
一匹と九十九匹と新しい思い出が欲しい話
ごめん気になったことからやっちゃう。
この2年くらい気づいてて、いよいよ、と思ってきたやつ。
これはわたしと「わたしの偶像」の向き合いかたの問題で、同じファンの誰かの思い出やたしなみをsageることがここでの目的では絶対にないです。
ジャガーハードペインというアルバムについて、
わたしは「このバンドの音源を買おう!ってCD屋に行って裏ジャケの曲名『薔薇娼婦麗奈』をみてなんとなく棚に戻した」みたいな中坊あるあるも持ってるし、楽器3人の音が凶悪にかっこよすぎて吉井和哉が食われてるのも最高に好き、フロントにあんな華あるやつを置いたバンドでありながら、全員が「ゆうて俺がいちばんかっこいいんで」ってドヤッてるのが最高、
なんでジギースターダストやろうとして昭和が炸裂してんだ、味噌と生姜で甘辛く炊くな、とか、
まあ、大好きなんですよ、ださいけど。
音すきすぎて多分全パート口で歌える。
で、それはそれとして、アルバム単位では、ルーツが韓国のファンからのおてがみでネトウヨ全体主義の酔いが醒めた話とか、結局途中で引き返して私小説に無理矢理閉じ込めたぶん、ごちゃっとなったかもしれないけど、結果後世には音とエモだけが残ることになって、それは正解だったと思う。
わたしは適当なファンだから当時の言動もよく知らないし、みた映像も追憶の銀幕くらいしかないし。
だから関係なくいられた。これまで。
2016年の武道館は、日の丸やべえなくらいで、
2018年からエイジアンの「日本国旗に敬礼を」「貴様と俺とは同期の桜」は完全になしだな、になって
2019年のわたしはもう「イエッサーぎりぎりやな」です。ギリていうか背水の陣。
熊本の「ニッポン!」もちょいしんどかった、熊本も福島も千葉も大変で、ずっと神戸にきてくれる人だし、わかってる、けどしんどかった。
それをやられてそれに巻かれていくのを良し、または仕方なしとした末に何がどうなった過去があったか、知っているので。
テレビ向けではある、あっちを立てればこっちを掬えなくての話だと思ってる!わかってる!
でもあなたの言葉があなたの可能性を狭めてしまいそうで、心底勿体無いなあと思った。
ちなみにナンバーワンロックンロールエイジアン、って言いだしたときはめちゃくちゃクールで嬉しかった。
イエローモンキー、は主に黄色人種である日本人に対する別称なんだけど、黄色人種は日本人だけじゃなくて、でも黄禍は言うまでもなくみんな何かしら白人至上主義社会から差別を受けてきた歴史があり、
あとわたしは水原希子推しなので「白人社会からは人種で線を引かれ、日本にいても日本で育った純日本人じゃないとか言われて、じゃあもう広いアジア全部が自分の所属だと思おう、見ためがアジア人ルーツな自分が頑張って、それ見たアジアルーツのみんながあたしも頑張ろ💪って思えたりしたらいいな」で全ての穴から水を出したので、台湾でPV撮って韓国の映画祭に出たタイミングが凄く嬉しかった。
大東亜共栄圏じゃないやつ、原初の、生まれたての汎アジア主義のきれいなとこだけみたいな気持ちでな。
艶やか反骨のジャパニーズ、も、wont get fooled againも相俟って(あれはあれで保守回帰もあるんだけど)安もんの日本最高みたいなのにバリ中指立ってて、このバンド名を未来に証していくんだ、ってのが爆速でかっこよくて涙ちょちょぎれた。
アジアツアー連れてってほしかったよ。
国、自分がいる場所や地域がすきなのべつに本来は多分良いことだし、無邪気に言えない今が間違ってるのかも知れないけれど。
なので歪曲してしまったやつをはよ降ろして、元の意味で使ってもデリケートな空気にならんように戻したいんだよわたしは。ズボラだから。
国てさあ、クソデカ主語だけど、目の前のひとりより絶対にえらくないじゃん。
そのふんわりした自他肯定の先は傲慢な拡大解釈にもつながっていて、全体主義、選民思想、優生思想まで一駅もない。
なんかわからん幻想のせいで全員の個が蹂躙されたりするよ、というか、したし、してるし。
ファンのわたしたちを、ざっくり信用しないでほしい、
頼むから信用しないでほしい、
わたしもこれが何に発展するかわからない、でも武道館前後はツイッタだけでも意識飛びそうだし(わたしはそもそも靖国にブチギレ派、国旗を対外的か名札以外の意味で持ち出してくるのは悪寒レベル、今年の課題図書はいよいよの天皇制)、そんなとこになんかやさしくふわっと置かないで。
このままにしとくといらんことがある。
なにかを強制される、その圧力がこの世でいちばん苦手で、だから逃げてはみ出しにはみ出して、イエローモンキーの曲に出会った。
わたしでさえそうだったんやぞ。
休止前の東京ドームの桜吹雪は多分ずっと忘れない。
復活後のドームのあのイエッサーも桜吹雪も、絶対絶対忘れない。
ずっと無邪気にあれがやりたい、って、譫言みたいに言ってたその願いが叶った幸せな5分間。
で、2019年。
次の形に進化して欲しいなあ。
曲自体にはびっくりするほど罪がない、わたしとあなたが曲にくっつけてしまったオマケの演出だよ。
一蓮托生ならば、いっそ最高の思い出として、これまでありがとうって幸せでいられるまま過去に置いていきたい。
我々ならこれから新しい答を見つけられる自信はあるし、もっと素敵な思い出を、新しい曲とでも、絶対に作れる。
外国で飛行機が落ちました、
わたしは思春期が遅くて、ずっとなにも感受性が働かないことがつらくて絶望してたし、JAMも最初さっぱりわかんなかった。
でも、すきなバンドの歌詞がどうしてもどうしてもわかりたくて、なんか、一応頑張ったんです。
そしたらたまたまみたニュースで、民族紛争の激しい地域で、敵対する勢力同士のカップルが国境で警備軍に射殺されて亡くなった報道があって、そのまま「それでは明日の天気です」ってなって。
え~~~~~~~~~~~~!?!?!?
ってなった瞬間があったんですけど、振り返っても親も普通にしてるし、客もくるし(自営業)。誰も変わらない、わたし以外は。
わたしと相手は愛し合えるのに、個の拡大集合であるはずの国が殺してくるとか、は?
中年おたくには、そんな中坊ネタもあるんだ。
思った以上に、音楽は、表現は、だれかの人生に影響があるんだよ、
だからわたしは今こうなったんだよ、という話。
それで、このバンドがこの名前で、時代になにをブチアゲていくのか、
この名前だから出来ることを、何に向かって証すのか。
同時代に立ち会えた奇跡のおたくはそれに対してなにが出来るのかを、気が狂って「立ち去る」の選択肢を消してしまった今、また考えたりもする話。
熊本前編(仮)
わたしにとって初めての「イエローモンキーがアルバム出してやるツアーに全力で参加するツアー」、終わりました。
発表時は5公演だったのに、結果10追加して計15公演観ました。次からはもうなんも考えずに全部申し込む。
あと、「節度を保って『やっぱ好っきゃねーん!』に殉じる地方の愛人」でいるつもりが、完全にただの阿部定になりました。
人は短期間にイエローモンキーを15回観ると、10回あたりから幻覚症状出て、沼突き抜けてマントルに突き刺さるという気づきを得た。
21日、台風~!
飛行機は飛んだけど、時間に余裕もない便だし気が小さいから結構びびって「今日はもう無事たどり着いただけで抱きしめてくれ!😭」てなった。
テクノ団地、とか平静を装いつつめっちゃ不安だったよォ~!
無事会場着いて安堵で気がガバガバになり、米焼酎ハイボールが美味しすぎて、「いや~この山見ながら飲む為に来てもアリやな普通にガハハ」ってもう少しで大の字になるところでした。
席は40列め、基本的には空気しか見えず、ツアー終わってまう実感もなくて、明日くるクソデカ感情の想像はつかないまま。
ただファイナルにして、音がめちゃくちゃ良かった。あとこのツアーほんとに照明と映像がシャープで良かった。
解釈を委ねられたプロの人が、きちんと解体してその人の本気を出して再構築したイエローモンキー柄を、本人が纏って、こういうのは君にはどう見える?って聞いてきたみたいだった。手抜きやナアナアがなくて、年齢やキャリア年数なしで、センスと集中力でお互い緊張感のある仕事をしてるのが嬉しかった。
以下覚え書き。
4月初日のガチガチの、誠実な決意や願いが溢れ落ちっぱなしだった「この恋」が、今日までにずいぶん枝を伸ばしてしっかりした木になってるのに改めてグッときた。
精一杯生命を繋いでたか細い枝が、季節を繰り返して芯が詰まって木になるように。
春には花をつける、その花の色は夏も秋も冬も木の中にあって、次にほころぶ為の蕾にまた確かに宿っている感じが、次もその次も約束されているようで、飾り気がないのに凄く贅沢だった。
メカラでみたアイドンノーの不安と不安と不安も、このツアーでどんどん(大阪でもう全然違う曲に化けてた)別の曲になった。
dear feelingよりも年上になって、でも50には時間があるわたしは、失わないものも知ってるし、これから失うものを知らない。
完全にわたしが知らない時間のことを歌うイエローモンキーなんだけど、絶対にわたしにもその時間がくるので、必ず訪れるその時に、変わりながら・自分のまま迷いながら、風の中でも臆することなく顔を上げて、僕らはこの先にいるからねって言ってくれたことが、貰った歌が、いつか何かの場面で絶対、わたしの奮い起つ力になる気がしてる。
しらんけど。
ありがとう。2番の引き吊れた傷みたいなとこ、islandとちょっとリンクするね。
あとはおさっくのチューがショーでもなんでもない「普段家でセフレにするやつ」で「熊本まできて何を見せられてるんや」感も最高だった、イエローモンキーなんだから(?)、むしろそう来てもらわないと!終わったあとのお互い一切興味ない感じとかめっちゃいいぞ!リアリティ!
(写真はきくち市の名酒「美少年」、しかも、賢者)
いろいろあるけど(思い出したら追記する…)(するする詐欺)最後に。
エイジアンのラスト、前のツアーでは歳上組を「俺の!」って抱き締める吉井和哉に全お客さんのエモが爆発したけど、このツアーではアニーの側にいたりしていて。
この日も前に歳上組が出て、最強で最凶にかっこよくて、4人でホヤヘヤキャッキャしてても、ミュージシャンとしてはキレッキレの猛獣!!!!!!って改めて見せつけられてめっちゃ燃えた。
そして年下2人が若いときのニコイチでも共依存DVでもなく、お互いが別の人として対等に、尊重し合うことを!覚えた!みたいな大丈夫感として並んで各自を全うしており、
今再びのブレイク前感、歳上組が背後を振り返らず全力で吠えていて、アニーはアニーで何もかもぶっちぎっていける感、
そこに、あんなに単品で華が炸裂している吉井和哉が、「バンドの4分の1」として身を置いてしかも一番しっくりしてる感、に、おたくの老婆心は爆発した。
わたしはどうみても吉井屋に分類される者だけど、「このバンドにいる吉井和哉」がいちばん好き。
この3人集めてそこにボーカル吉井和哉入れちゃうの?!シャトーブリアンにフォアグラ??アワビにウニ?!?!ってなるけど、これがいちばん好き。
内緒にしてたけど、この状態が当たり前なところも、わたしはずっと見たかった。
わたしは、ツアーに客パートで参加して、生まれた曲の成長を一緒に見届けるのが同時代同じ音に集まった者についた激ウマ特典だと思ってる。
残念ながら解散前は4回しか観られなくて(うち2回は休止のドーム)他のバンドに教わったことなんだけど、まさか、まさか、イエローモンキーでこれをできるとは思ってなかったよ。
とは言えあくまでも「ファン」として、相手からは顔の見えないかたまりにそっと紛れ込み、帰るだけ。
…なんだけど、ここで今回いよいよ最初と最後に、来てしまった。自分の意思で。
このかたまりの中の1は確かに自分で、名前があって、その1がこのツアーの始発駅と終点を観たくて、来る選択をしたことが嬉しい。
関係ないのにね。
わたしの人生ではない。なくてもひとりで生きていける。わたしの何かを背負わせたりはしない。
でも来ちゃったんだよね。恋じゃん。
わたしの今回の人生の恋、恋以上に恋としか言いようがなくてしかももう敗れに敗れてんだけど、いちばん大きな破片が音楽だった。
しかもその成分のほとんどは結局イエローモンキーな気がしてて、この仮説を否定する術が、まだない。
って、これまだ22日に触れてないんだけど…😭
おたくって恐ろしいね…
ツアー雑いまとめ
さみしくなったので振り返ります
充電があるときに細かく手を入れたいな…
しがつ
控えめに初日上手袖を当てます
ガチガチ真面目な久しぶりセッ みたいなライブでこっちが照れるわ…
よしいかずやの見た目があまりにも20年前でテンパるおたく、よしいかずやはよしいかずやで「楽園とかSICKSとか、あんな凄いアルバムを、必ずまた作るから、あんな思いを必ずまたさせるから」と言っておたくを泣かせる
取ってなかった翌日はショクハビン、足腰立たないまま放り出される茫然自失のおたくがTLに溢れる
新しいアルバムが出るってこういうことだったなあ、久しぶりだな~
まだ5公演しか取ってなかった頃
ごがつ
出来心で福井を追加、地獄くらい暑い
ライブは割とよそいき
何しに来たんだ!って言われて喜んじゃったけど、バンドのやりたいことと会場(音響、座席など)を思ったり
ろくがつ
大阪初日はステージから直線距離いちばん遠いスタンド2階、始まる前からポジティブでホッカホカの会場で鳴るイエローモンキーの新曲、に、エモが天元突破しいきなり号泣
保護者か
いや、前のツアーはお客さんもみんな不安だったよなあ、って…😭
予想を越えたあまりにもあたたかい会場によしいかずやさんも感無量のご様子で、ザ・イエローモンキーイズマイライフがだいぶピュアな本心
まさかの「今夜スプーン一杯貰って完成しましたありがとう」がでる、あんなしあわせなライブがみられる日が来るとは
あと、天才のタイミングで「抱いてー!!!」を叫んだ人、前半のMVPだった
2日めも良かった、よしいかずやは花道で号泣してる人に「泣かないで🌷」とか言ってて絶好調だった
ちなみに開演30分前に風呂から出て時間間違えてることを知り、しぬかと思った(間に合った)
横浜を2つ追加、完全に大阪で味をしめたパフォーマンスを採用、宇宙にとけてくようだ
なながつ
広島を1つ追加、初日が最前
五感を剥奪され、えまさんがイケ散らかしてた以外の記憶がない、えまさんに見つめられると無理が突き抜けて人は顔を覆
よしいかずやは巨大
翌日は最上段、京アニ無差別テロでささくれだった心をJAMに付き添って貰い、いっしょに越えような、と言われたきもち
あと宮迫亮会見で傷ついていたことをバラ色に暴かれボロボロに号泣、わたしの知らないわたしの感情は、いつもよしいかずやに暴かれる
はちがつ
武道館両日当てる
両日天井席、暑い、イエローボーイ
わたしと武道館とこの曲には残り時間があることに直面
神戸直前にぴんく事変、おたく退場の危機を感じた末にMCでまで言及され発狂、しかし8列めのいかつい景色とバンド愛しさにどうしても諦められず、狂気の投書
翌日のJAMバラ色MCがぜんぶ返事に聴こえる幻覚症状に襲われ、愛に溺れた
ライブも誠実だった、沼底突き抜けてマントルに突き刺さる
くがつ とくしまはのんびり、マントルからプロモーターと会場広報のど素人しぐさを呪う
執念で熊本両日獲得、いまクソデカ感情整理中
沼突き抜けてマントルに刺さった話
神戸ライブ当日、わたしはめちゃくちゃ怒っていました。
わたしの人生の推しインペリアルこと吉井和哉が、ファン専用ブログで某ネトフリクソドラマについて「観てみようかな」とか抜かしたからです。
1週間ほど前に「無許可」であることが明るみになり、その発表が表現の自由ならわたしの言論の自由を駆使してボコるだけ、の対象であった、最近ホットな完全アウトの人権問題。
1週間も経って今更推しはなに考えてんの?!
業界にいても52歳てそういうもんなの?
お前誰と結婚したっけ?
ていうか、は???????
ちょっと意味がわからん、と一晩寝かせたのですが、翌日になって、一晩寝かせたけど…とTLもざわつき始めてて、「わたしがひとり考えても答えでないわ」と0か100しかないおたくらしく、人生2回目のコメント投稿をしました。
1回目は「50歳のマリーさんに逢いたいです」だよ。普段やらんわたしの記念すべきセカンドカキコよろ、がこんなことだよ、許さん。
わたしもラモーンズだって知ってたもんね、みたいな話したかった。
TLからもお二方ほど見えられました。
見ないだろうけど、チェックが入るなら取り急ぎスタッフさんの目には1件2件あったな、くらいにはなるかな?と思って。
で、翌日。
まだ言ってた!!!!!!!!!!!!😭
いや反応あるとかは思わんかったけどまだ気づいてない!!!!!!!!!こんだけ世間騒いでて、うちの旦那が「えっそれあかんやつやん」て即答するレベルでも、52歳のエゴサ用TLには届いてない、または無視!
今でこそこのテンションですが、普通に絶望でした。エゴサするほどアンテナ立ってんのに。
吉井和哉、islandを作ってstarsを作ってfourseasonsを作った人なんすよ。
バラ色の日々で「満たされ流され汚され騙され捨てられ心まで奪われ」、「それでも」と歌ってる人なんすよ。
「音楽にだけは嘘はないから」と言って、horizonの歌詞を「あなた方に向けて」と歌ったんですよ。
わたしは、自分があなたのその歌とした約束に、無責任ではいられない。
わたしはその歌といくつも夜を越えて、あと1回だけ立ち上がろう、と思ってやってきた。
聴き手を平気で裏切る他のミュージシャンなんかどうでもいい、お前は、お前だけは、それじゃ困るんだわたしが。
でも今日かどうかはわからないけど、嫌いになるときがいつか来るかも…と初めて思って向かった26日。
MCで言っちゃった~😂😂😂
いやもうわたしの我儘かもしれませんよ!書いたよ「判断についてはわたしが口出しすることじゃない」って!自分もみてみようかな♥️みたいなコメントの嵐みてわたしが間違ってんのかと思ったわ!
でも、わたしがきらいなものをみないで、って話ではない。加害に加わるな。
ユニバーサルと契約し台湾でMV撮って韓国の映画祭に出、この名前で世界に出て、若い人に聴いてもらうんでしょう。あなたがあなたを裏切らないまま、いちばんかっこいい音楽をやるんでしょう。
あなたのロックスター達とした約束を、これからもずっと体現するんでしょうよ。
ダメだよ、かっこつけ続けてよ。
わたしはあなたをゾンビにするわけにはいかない。
おたくだから。
推しがダサいのは許せないから。
他人の尊厳踏んづけるのに加担なんて絶対させない。だって、わたしのロックスターだから。
盛り上がりに欠けたと思っておられた様子もあり(でもねあの日はお前ひとりよがりだったよ)
わたしもボロ泣きするようなこともなかった。
ライブが響かなくなったら離れてしまう運命なのかも、って、観てる間も不安だった。
でもわたしと歌う吉井和哉の間に遮るものがなにもない瞬間があって、好きとかそういう次元じゃない、宗教的恍惚とか超自然の狂暴な美、的なのがあった。キレキレのギターで人任せにせず自分のやり方でもステージを引っ張ってくえまさんと、これが自分のやることだ!って迷わず凶悪に暴れまわるヒーセと、人間なのに最早発光してるアニーいて(語彙力なくて発光してるとしか言えないごめん)、
こんな凄い瞬間を、こんな頑張って(※観てるわたしもしんどい)取り戻して進めてる人たちを、とてもじゃないけど諦められないと思った。
気が狂ったので、投書しました。
吉井和哉が見なくていい。運営の誰かひとりでも目に触れればいい。すぐでなくていい、でもしっかりしてくれ。あなたがこれまで踏まれた仇は、下の世代のわたしらが取るから、絶対取るから、もうそんなとこにいないでくれ。2019年を、これからを、わたしと一緒に生きてくれ。
ずっと与えてもらうばかりだった。一緒に仕事するような何者かにはなれなかった。でもおたくだから。
会場の歓声としてでなく、初めて吉井和哉にどうにかして自分の声が届いてほしいと思った。
明けて27、どしゃ降り。仲の良い友達が来てくれるから人の形で会場に行けて、でも着席して始まってもしばらく怒ってました。
怒りながらライブみさされたのにも怒ってた、なんで怒りながらパール聴かされんだ、大好きな曲なのに!って、もう、何もかも怒ってたし、昨日も今日も怒りが邪魔でとにかく曲が入ってこなくて、
でもJAMは、これが嘘ならもう駄目かも、と思ってちょっと身構えた。
わたしはそんなにJAM推しではないけど、これがあって、これをわかりたくて、わたしになるために初めて自分で自分を抉じ開けたから。
~※ここから狂人の幻覚~
吉井和哉がどう思ってこの日歌ったかはわかりません。
広島ではつらい事件のニュースがあり、凄惨な歴史があった場所で、自分もあなたと同じように戸惑う、けど一緒に夜を越えよう、って手を取ってくれた優しい歌だった。わたしには。
神戸のこの日は、何度間違えても、かけ違えがあっても、一緒にいたいのは心の底から嘘ではない、それだけは間違いないと聴こえてしまった。
そんなん、わたしもそうだよ。
えっ激ヤバの幻聴きてない!?って動揺してパンチドランカー。後だっけ先だっけ、思い出してるだけかも。
粗ばかり目立つ会場の音響、当時のようにはいかない何か。それでも間違いなく嘘のない愛の歌として歌われてる2019。
ちなみに先にやったstars経てのバラ色がもっと鬼ヤバで(広島では宮迫と亮の記者会見がショックすぎたのを暴かれて号泣した)、汚してしまったスパンコール集めて真冬の星空みたいに輝かせよう、て
まてまてまてまて汚してない!!!汚れてない!!!!!!そんな寂しいこと言うな!この瞬間からやり直せるから!!!!!お前も、わたしも!!!!!!!!!!!!!
一緒に挽回しよ、謝って、誰にも繰り返さんことで償いにしてこ、これから!これから!!!!!!!!!!!!!!!
完全に新しい狂気の扉が開いてやばい。
ぜんぶ自分に言われてるように聴こえる。
今日だから引き留めてるとかではなく、いつも、いつだって当たり前に、そう言われてた。
わたしが話聴いてないときもずっと。
これからもずっとイエローモンキーと生きていきたかったから悩んだ。
神戸が被災地だということに対して、つらい思いを抱えたまま、痛みを越えて生きることをやめない町と人に向けて言った言葉だとわかってる。吉井和哉がずっとそういう人なのを知ってる。おたくだから!
でも「これからもずっと一緒に生きていきましょうね」はタイミング的にちょっとシンクロが過ぎたよ。
「ずっと愛してます」
前の晩、発狂しながら自分が同じことを言ったから、もう、なんか奇跡おきてんのかここに。
ずっと愛してるよ。
嘘じゃないし、嘘にしたくないです。わたしも。
悪意はないだろうけど、立場のある者が興味を示すことで、尊厳踏んづける行為に二次三次加害になってた。
そのことを矮小化するつもりはないけど、それでもわたしは一発退場する勇気がなかった。
推しかわいさに「とにかく黙ってくれ~」って祈ったことも事実。
ストレートに後悔してる(えまさんが唇塞いで黙らせてくれてもよかった)。
価値観クソ案件、我が身と推しにくるなんて、いやどうすりゃいいんだよこれ、と思ったとき、①幸か不幸か性格が極端な狂人であることと②よその勇気あるおたくを見慣れていたおかげで、「なんとかする」にシフト入れられたのはわたしの人生でわりとでかい。
仕事じゃないのに、家族じゃないのに。
ザイエローモンキーイズマイライフじゃん、て、うまいこと言ってる場合じゃなくて。
ネトフリクソドラマの件が結局なんか解決したわけではないから、まあ実際これからなんですけど。
まさかのシーンで「それでも」を発動したけど、結果、この件わたしはまだがんばれそうです。
つらいかたの参考になれば。
この世で一番恥ずかしい話(恥の多い人生2)
いちばん最初に「グワァァァ」となったのは、小6のときに立読みした中島らもです。
激おセンチメンタルが序文みたいに置いてあり、ギャグ下ネタ自虐等でしばらく煙にまかれたあとにいよいよ「おセンチメンタルの連合艦隊」みたいなやつがきて、
THE大阪(関西)の男~!!!グワァァァ~!!!!!!ってなったせいで(略)その後の人生こうなりました。
なので、吉井和哉はそれに次ぐ2人めのグワァァァ。
今日は、その次の、3人めだった人たちの話を。
最初の職場で酒売りのバイトから制作アシスタントに昇格したころ、事務所で仕事してたらリハから異常にかっこいい音が出始めて、上司と「なんやこれ誰や!」ってホールまで走ったことがあって、それがそのバンドでした。
商業ベースから降りた伝説の人か近所の専門学生、あとは地元のロックポップス歌ものがメインの場所にいきなりモグワイ(グレムリンなってもうてるやつ)みたいなのが来て完全に嬉しくなってしまい、上司がそれをバンドにチクッたせいで走ってきたボーカルに胴上げされました。いや挨拶もしてないw
扱いにくいとばかり言われて音楽良いって言われるの少ないから嬉しかった、と。
でもマジで次に来たときはライブ中滅茶苦茶怒って最後さっさとステージから消えてしまったし、その次はなんかしらんけど坊主でした。
インディーズだってコピバンだって、自分のステージに対し適当な仕事をされたら怒る、お客さんからお金もらう側の共同製作者として対等なのに、そこ愛想笑いでスルーは出来ないし、自分が信じた音楽のためにもそんな付き合い出来ない。
バチクソ怒って自分の機材投げまくったあと塞ぎ込んで泣いてたりしてて、音の切れ味と歌詞と生活が偽りなく同じで、これまでこんなに音楽がすきと言いながら、やる側のそうした部分を見たのは初めてでした。
おかしいやんけ!ってすぐ喧嘩して仕事クビになってホームレスやってる人誰もいなかった。
おかしい側がミュージシャンとお客さんを見下して、それがそれなりの仕事と思ったまま食えてるのしか見てこなかった。
(ちなみに4人中2人ホームレスだった)
(スタジオこんかったなと思ってたら捕まってたとかあった)
その頃はもうわたしが仕事うまくいってなく、顔向け出来るような仕事ができない自分も嫌だし相手に旨味もないし、バンドがつらいのみるのもつらいのに、信じられる唯一が痛みで、それを使って話しかけてくるやり方を忘れるわけには行かなくて、ときどき都合つけて観に行った。連絡するとゲストになるし、約束はうしろめたいから当日券で。
いつも体調最悪とか、メンバー抜けて地獄みたいな罵り合いしてて、ワァ…。
でも必ず「ここから出たい」って諦めないライブだった。お客さんもいろんな人がいて、無条件に良くしてくれたお姉さんたちも、痛みのプロみたいなかんじの笑
そんなこんなで、初めてのワンマンに呼ばれるのですが、明るい曲なんか1曲もないしそもそも曲ないしいつも光もささない地の底なのに、精一杯集めたお客さんの前でしたライブが、最強で最凶にかっこよかった。
前情報なしで初めて聴いたときと同じ、ただ純粋に曲と演奏がかっこよくて、びっくりして号泣。
痛みの共有ではなくて、互いにそれを超えられたらこんな景色があるからそこで逢いたい、って、ずっと音にしていたのだと思った。
号泣してたら同じく号泣してるお姉さんたちにめちゃくちゃキスされました。
イエローモンキー以外で、しかも同じ音楽という方法で、こんな祝福されることあるはずないと思ってたよ。
15からそれまで、音楽のなにかを仕事にしたいと思ってきたのは、ペイフォワードの概念がなかったせいで「イエローモンキーにされたことはイエローモンキーに直接還したい」と思っていたから。イエローモンキーと仕事で対等になりたかった。
それがここで「イエローモンキーにされたことを、わたしは目の前のこのバンドに還元するんや」と思ったんでした。イエローモンキー解散してたしね。
より役に立つ仕事がしたくて転職~辞めるまでの流れは前回の通り。
辞めて虚無のときに、バンドのこと手伝ってほしいと言われました。
2回くらい遠慮して、3回めに「いや虚無だし楽器わからんしなんにも出来ないから!」と言ったら、ベースに「元の仕事絡みの成果はなにも期待しない。自分たちはこの音楽を信じてライブしてる、この音楽を同じだけ信じて同じものをみて、一緒にやれて、居なくならない人に、連絡系統とか手伝ってほしい。基本俺がやってたけど、ちょっとしんどくて、助けになってほしい。」と言われて、
…フーン………ってなってやることになったんですけど、
これえらい求愛だよね(今更)。
ここまで、ベースと話したことなんてなかった。
して貰ったことのほうが多かったと思う。
殆んど泣きながらステージから転がり落ちてくるボーカル抱き止めたり、MCで完全に自分宛に檄とばされたり、夜通し高速を走りながら助手席で喋り続けたり(お前の運転する車には乗りたくないから免許はとらんでもいいと言われた…)、わたしのキモいCDライブラリを参考に勉強会?されたり、メンバー代理で打ち上げ出てテキーラ持って走ったり、俺らが怒るより先にお前がライブハウスと喧嘩すな、って言われたり。
会社をダッシュで出てスタジオの扉を開けたら、なんじゃそれ!!!ってくらいかっこいい新曲出来てて、お前なんじゃそれ!!!!!!!!!みたいな歌詞いきなり吐き出してたりして、わたしはわたしで人生頑張ってはきたけど、ご褒美が過ぎやしない?
こんなかっこいい音楽のいちばん近くにいることを許されるってそんなんある?
わたしが当時好きだったのはサッドコアと実験音楽で、バンドは元々レイジとモグワイとNINが好きなオルタナだったのだけど、ライブハウス照明に嫌気がさしてVJがついたり、あの曲タイトルつけたよーって送ってきたメールに「全一」って書いてあって卒倒したりした。バタイユ超すきなんて、わたしそいつに一言も言ってなかったんだけど!?
別にメンバーとぜんぜん仲良くなかったし、わたしはそのとき本当に他のどこにも属する場所がなくて、信じた音楽でのみ繋がってそこに身を寄せてた。でも多分みんなそう。
車中泊で目をさましたら、友達でも家族でも恋人でもない、お互いを絶対裏切れやしない「音楽みたいなのたち」がそこにいて、はいこれ後家のぶん~ってコンビニおにぎりくれたりした。
黙ってたけど子供おんねん、って家族にあわせてくれたり、さみしくて帰る場所がないって言うと彼女んちに泊めてくれたりした。
バンドは関西、だけどわたしは身一つでどこへでも行けるから!東京引っ越してなんか音楽の仕事するわ!そのほうが役にたつし!でもさみしいな!って酔っ払って泣いたりしたな。楽しかった。
ドラムが抜けるときに泣きながら「ボーカルは俺のヒーローやねん、今の自分では一緒に居続けられない」とか言われたし、わたしも「この音楽にはドラム必須やねんからそんな事情知らんやん、わたしに関係ないやん、バンドのために殉職せえよ」とか泣きわめいてそのまま会社やめたりした。
非常に狡い言い方をするけど、わたしがなんでそこを絶って違う人生を選んだのかは、よくわからない。
バンドはかっこよくて、ボーカルとベースふたりのインプロになっても、わたしが信じた彼らの音楽はなにも変わらなかった。
ドラムいなくなって自分が会社やめちゃったあとも、自分は変わらないと思って、相変わらず告知したり東京の友達のアート古本屋にデモ置いたり芸術屋捕まえたりプロモーターやA&Rに押し付けたりリハスタでかけて貰ったりしてた。
なんとなく覚えてるのは、そのうちいよいよ自分の家に帰れなくなってきて、家があるのに毎晩ネカフェで号泣してたこと。
とにかく横になりたくて5年ぶりくらいに実家に帰って、次のライブの調整とかを電話していたら親と喧嘩になって、実家の前の公衆電話から「次のライブはいけない、というか、もうやれない」と泣きながら電話したと思う。
一言も責められたりしなかったけど、データをぜんぶ郵送して一方的に終わりにした。
どうでもいい仕事して恋人出来て、「これさえあれば他になんにもいらない」と引き換えに、他の全部が手に入った。
実は何年もあとに再会して、音楽じゃない事業を手伝って、最後は「わたしの人生にあんたはいらん!!!」って絶交したりして改めて正しく終わりにできるのだけど、それはまた別の話。
つまり今になってわたしが何を言うのも、ダサいことこの上ないんだわ。
イエローモンキー関係ないし。
でもいまのイエローモンキーがいる人生、の前、イエローモンキーがいない人生で、これだけ強い思いがあったことは事実だし、誰にも関係ないことだけど、
わたしはわたしのことを、これから死ぬまでずっと信用できない。
イエローモンキーがこの先どれだけわたしを幸せにしてくれても、これがあるから。
彼らの音楽はネット上で探しても探してももう出て来ない。音源も手売りしかしてないし、わたしのものじゃないから曲も歌詞も共有して誰かに伝えられもしない。
本当に、わたしはなんの成果も残せなかった。
せめて、当時わたしが口癖のようにしていた内容、中島らもがアンリミショーから引いた言葉を、その日ライブでマイクスタンド蹴り倒してからMCで引用して、それにボソッと付け足したこと、後に文章にしていたことだけ、書いとく。
「詩は日常に対して垂直に立っていて、誰かが声を枯らして叫ぶのも、わたしの耳には届かない。
詩ではあれないわたしは、音楽を聴いてる間だけ、息継ぎのようにして呼吸ができる錯覚をしている。
でも、もしも同じ速さで生きることができたなら、違う場所でも、わたしも偶然その声を拾うことが出来るかもしれない。なりふり構わず走れたら、あなたの言うことが少しだけわかるかもしれない。少しだけ、あなたになれるかもしれない。」
言われたのはこれ。
「お前はお前の好きなようにお前を走ればいい」
「俺はいつだって全身全霊で青い炎になって、お前を凍てつかせてやろうと思うよ」
こんなの忘れるわけない。
これを投げ出したわたしには、この後に及んで音楽が好きだなんて言う資格はどこにもない。
わからないなんて嘘で、理由はわたしがいちばんよく知ってる。音楽を信じ続けるのを自分から辞めたからだ。
音楽が好きだなんて言える日は、この先いつになっても、こない。