熊本前編(仮)

わたしにとって初めての「イエローモンキーがアルバム出してやるツアーに全力で参加するツアー」、終わりました。
発表時は5公演だったのに、結果10追加して計15公演観ました。次からはもうなんも考えずに全部申し込む。
あと、「節度を保って『やっぱ好っきゃねーん!』に殉じる地方の愛人」でいるつもりが、完全にただの阿部定になりました。
人は短期間にイエローモンキーを15回観ると、10回あたりから幻覚症状出て、沼突き抜けてマントルに突き刺さるという気づきを得た。

 

21日、台風~!
飛行機は飛んだけど、時間に余裕もない便だし気が小さいから結構びびって「今日はもう無事たどり着いただけで抱きしめてくれ!😭」てなった。
テクノ団地、とか平静を装いつつめっちゃ不安だったよォ~!


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無事会場着いて安堵で気がガバガバになり、米焼酎ハイボールが美味しすぎて、「いや~この山見ながら飲む為に来てもアリやな普通にガハハ」ってもう少しで大の字になるところでした。




 
席は40列め、基本的には空気しか見えず、ツアー終わってまう実感もなくて、明日くるクソデカ感情の想像はつかないまま。
ただファイナルにして、音がめちゃくちゃ良かった。あとこのツアーほんとに照明と映像がシャープで良かった。
解釈を委ねられたプロの人が、きちんと解体してその人の本気を出して再構築したイエローモンキー柄を、本人が纏って、こういうのは君にはどう見える?って聞いてきたみたいだった。手抜きやナアナアがなくて、年齢やキャリア年数なしで、センスと集中力でお互い緊張感のある仕事をしてるのが嬉しかった。

以下覚え書き。

 

 

4月初日のガチガチの、誠実な決意や願いが溢れ落ちっぱなしだった「この恋」が、今日までにずいぶん枝を伸ばしてしっかりした木になってるのに改めてグッときた。
精一杯生命を繋いでたか細い枝が、季節を繰り返して芯が詰まって木になるように。
春には花をつける、その花の色は夏も秋も冬も木の中にあって、次にほころぶ為の蕾にまた確かに宿っている感じが、次もその次も約束されているようで、飾り気がないのに凄く贅沢だった。

 

 

メカラでみたアイドンノーの不安と不安と不安も、このツアーでどんどん(大阪でもう全然違う曲に化けてた)別の曲になった。
dear feelingよりも年上になって、でも50には時間があるわたしは、失わないものも知ってるし、これから失うものを知らない。

完全にわたしが知らない時間のことを歌うイエローモンキーなんだけど、絶対にわたしにもその時間がくるので、必ず訪れるその時に、変わりながら・自分のまま迷いながら、風の中でも臆することなく顔を上げて、僕らはこの先にいるからねって言ってくれたことが、貰った歌が、いつか何かの場面で絶対、わたしの奮い起つ力になる気がしてる。
しらんけど。

ありがとう。2番の引き吊れた傷みたいなとこ、islandとちょっとリンクするね。

 

 

あとはおさっくのチューがショーでもなんでもない「普段家でセフレにするやつ」で「熊本まできて何を見せられてるんや」感も最高だった、イエローモンキーなんだから(?)、むしろそう来てもらわないと!終わったあとのお互い一切興味ない感じとかめっちゃいいぞ!リアリティ!

 

(写真はきくち市の名酒「美少年」、しかも、賢者)


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いろいろあるけど(思い出したら追記する…)(するする詐欺)最後に。


エイジアンのラスト、前のツアーでは歳上組を「俺の!」って抱き締める吉井和哉に全お客さんのエモが爆発したけど、このツアーではアニーの側にいたりしていて。
この日も前に歳上組が出て、最強で最凶にかっこよくて、4人でホヤヘヤキャッキャしてても、ミュージシャンとしてはキレッキレの猛獣!!!!!!って改めて見せつけられてめっちゃ燃えた。

そして年下2人が若いときのニコイチでも共依存DVでもなく、お互いが別の人として対等に、尊重し合うことを!覚えた!みたいな大丈夫感として並んで各自を全うしており、

今再びのブレイク前感、歳上組が背後を振り返らず全力で吠えていて、アニーはアニーで何もかもぶっちぎっていける感、

そこに、あんなに単品で華が炸裂している吉井和哉が、「バンドの4分の1」として身を置いてしかも一番しっくりしてる感、に、おたくの老婆心は爆発した。


わたしはどうみても吉井屋に分類される者だけど、「このバンドにいる吉井和哉」がいちばん好き。
この3人集めてそこにボーカル吉井和哉入れちゃうの?!シャトーブリアンにフォアグラ??アワビにウニ?!?!ってなるけど、これがいちばん好き。
内緒にしてたけど、この状態が当たり前なところも、わたしはずっと見たかった。

 

 

わたしは、ツアーに客パートで参加して、生まれた曲の成長を一緒に見届けるのが同時代同じ音に集まった者についた激ウマ特典だと思ってる。

残念ながら解散前は4回しか観られなくて(うち2回は休止のドーム)他のバンドに教わったことなんだけど、まさか、まさか、イエローモンキーでこれをできるとは思ってなかったよ。
とは言えあくまでも「ファン」として、相手からは顔の見えないかたまりにそっと紛れ込み、帰るだけ。

…なんだけど、ここで今回いよいよ最初と最後に、来てしまった。自分の意思で。

このかたまりの中の1は確かに自分で、名前があって、その1がこのツアーの始発駅と終点を観たくて、来る選択をしたことが嬉しい。

 

関係ないのにね。

わたしの人生ではない。なくてもひとりで生きていける。わたしの何かを背負わせたりはしない。

でも来ちゃったんだよね。恋じゃん。

 

 

 

わたしの今回の人生の恋、恋以上に恋としか言いようがなくてしかももう敗れに敗れてんだけど、いちばん大きな破片が音楽だった。

しかもその成分のほとんどは結局イエローモンキーな気がしてて、この仮説を否定する術が、まだない。

 

って、これまだ22日に触れてないんだけど…😭

おたくって恐ろしいね…