恥の多い人生 1

子供のころなりたかったものはなんでしたか、みなさま。

 

わたしは、なんにもありませんでした。

絶望していたとかではなく、ただ単純に像を結ぶものがなにもない。

「将来」はどう考えてもわたしに関係ないことで、聞かれる度にとにかく困ったことを覚えています。

 

 

 

思春期にすきな音楽ができて、

この人と対等に仕事をするような自分になりたいと思って、

そこで初めてわたしに将来なりたいものが出来ました。

やっと開いた目、定めた照準、他の選択肢を迷わず切り捨てて、全てはそのために。

ここでこの「なりたい」をストレートに掴むために、これまで目が見えなかったんだろう、くらいに思えました。

以後瞬く間に道を外れ親を泣かせ、学生のうちになんとか音楽産業の末端に就きました。

 

 

就いたもののよ。

上司はバックれオーナーは出勤してこず、日々先方に謝ったり怒られたりし、ブッキング埋まらない責任をオーナーの親から匂わされーの(わたしはバイトです…🤔)同僚?からは背後から撃たれーの!

でも、いいライブがあればそれだけが何よりわたしの味方であり、わたしが信じるものだと毎日確信した。クソ上司にも同僚にもわからない、わたしと相手にしかできない尊いことが、相手とわたしの手に間違いなくあった。

自分が去れば最初からなかったことになるものがいくつもあって、自分だけはそれを守り、いつか巣立った人がふらりと立ち寄ったとき、変わらずにおかえりを言いたかった。

ずっとここに灯りを灯していれば、戻る場所があれば、みんなどこへでも行けるじゃん。

 

ほどなくして、かなりスマートじゃなく同業他社に転職。

上司は情緒不安定だけど「尊いこと」を守るための体の張り方を知ってる人で、今までの有象無象が、たくさんの嘘で固めた外野の飯事だったことの裏が取れて、メチャクチャ狂喜しました。ばーーーーか!!!!!!

わたしが狂った目をしたガチ野郎だったので、なんでも回ってきたしなんでもやって、いろんな人に会った。ミュージシャンからお客さんまで、出入りする人がみんな「今日最高の日にしような!」の目的のもとに団結していて、知らないものでも良ければみんな「最高~!」ってなって、

朝8時からロッカー担いで深夜0時に風を感じるくらい怒鳴られて、翌朝7時に酔っ払いを駅まで引き摺って捨てて、裸足で帰宅して12時にまた来て米炊いてた甲斐があるってもんだよ。

(「脚立の最上段でブチギレ泣きしながら照明仕込んでる姿が忘れられん」て未だに言われる)

 

わたしはここで「あなたがやるっていうから頑張った」とか、「お前最高やん」を頂いたことを生涯忘れないです。

最高の仕事に参加して「最高~!!!」って言ったことも忘れない。あの日の自分の照明とかも忘れないよ。

演者の受け入れも案内も転換指示も、バーも受付もフライヤー折り込みも、その日を来た人たちの特別な日にするためには、わたしがいちばんふさわしかった。

なにもないところから音楽を好きになって、なんとかここに辿り着いて、このまま自分が走り続ければ必ず、必ず、おかえりを言える人になれると思っていた。

いつか誰かが前のめりに倒れても、わたしがここに灯りを灯していれば。暗闇に身体が動かないときに、側で灯りを灯すことができれば。

わたしは今、こうするために生まれてきた、と、この時本当に思いました。

他に選択肢はなかった、あれもこれも全部今日ここにいるための布石だった。

 

 

まあ、うまくはいかんものですね。

信頼だけでなんでもできたのに、上司は(わたし含め)誰も必要じゃなかった~!という、音楽一切関係ねえ部分で、わたしは突然仕事にいけなくなりました。

仕事人としての上司のことはいまでも本当に尊敬してる。わたしに欲しいものを与える人じゃなかっただけです。

辞めたとき、それまでそれしか考えてなくて、好きを仕事でやってるのが自分だったから、自分はもう自分でなくなったんだなあと思いました。えっ誰こわい。

自分は「一緒にやっていこうな!」を全て反故にした罪人なので、職場で知り合った人の連絡先はぜんぶ消して、最初からわたしなんていなかったと思ってくれ~!って毎晩必死に祈っていました。

いや音楽関係ねえ~!!!!!!!!!!!!😂

 

は?こんなことで?こんなところで?って、自分でも思ったけど、どうしてももうやれなかった。

他になんにもいらない、って、ずっと仕事だけを自己実現にしてきてた。

 

かくして、独り暮らし彼氏なし、実家ほぼ絶縁、不労所得なし、平均15時間拘束×週6、社保なし給与15万固定からの→「学歴ドブに捨てただけの貯金0の25歳の心神喪失の無職」が爆誕したのでした。