4月

アルバムが好きだ

自分の世界に鳴ったことのない音が鳴る、ボタンを押して息を止めて第一音を待つあの緊張感が好きだ
予想もしてなかったアプローチに全力で戸惑い、次の展開を期待で震えて待つのが好きだ
満を持して物語が動き出し、待ち構えていた見たこともないものに、はちきれそうだった心が丸ごとさらわれてしまう感覚が好きだし、
3、4曲めで盛大に盛り上がって華々しく第一幕が終わり、シーンが変わって、登場人物が全く違う怖い顔で現れたときの不安も好きだ

理由はまだたくさんある、アルバムといえばそんな装置で、って、イエローモンキーに教わった
アルバムが好きなのはつまり、イエローモンキーのそれが好きだからだ


何度も言うけど、イエローモンキーはわたしに音楽で最高に楽しい約束をしてくれたバンド
アルバムとは必ずこうあれ、とかは思わないけど、イエローモンキーがアルバムという名の何かを為すなら、過去9回(バンチドも含むよ)頭吹っ飛ばされてきたことやアルバムとの思い出が、過らない筈ない

 

アルバム出ないことには、と言う人は周りにもいて、そりゃわたしにはわたしの、彼には彼のイエローモンキー観があるだろう
再集結からずっと温度高めのおたくやってるけど、アルバム製作が発表されたとき、祝福や期待よりも「わたしが逃げてきたことに遂に捕まってしまった!」と思った
新曲で気持ちが通じあったつもりになって、ライブでどれだけ約束した気になっても、アルバムは先伸ばしにしていたかった
信じてないとは言いたくない
だって、だけど、19年だぜ?
いろいろ、いろいろあるじゃない、
なあ?

 

わたしにとってのイエローモンキーらしさって、つまるところ曲調でも猥雑さでもなく、いつも必ずわたしに風穴をあけて新しい空気を入れてくれるところかもしれない
見たことない景色を見せてくれ、風の心地よさを教えてくれるもの
ライブも新曲たちもそうだった、絆も深まってくように感じたりして、
でもいつか必ずわたしが「昔みたいに」って、言ってしまう日がくると思ってる
道が分かれるときがあると思ってる
それは絶対に振舞いなんかじゃなく音楽によって知らされる、シングルじゃなくてアルバムだろう、
なにを根拠に?って言われても、いや、イエローモンキーだからとしか…

 

 

ハチャメチャ長くなるからアルバム雑感はまたの機会に、
19年ぶりのアルバムの第一音は、旅先で早朝夢うつつで聴いた遠雷みたいな、初めて聴いたのに不思議に懐かしくて、そしてきっと二度と聴けないのにずっと思い出すような音で
「錆び付いたエンドロールが流れ」て「またひとつ僕たちの映画が終わ」り劇場を出て自分の道上に戻り、人生の折り返しや手の中にあるもの、手を離れたものや別れたものついて考えながら、季節と季節の狭間に佇んで、ふとこぼれた自分の気持ちを「恋」と呼ぶような歌が流れたんだった

 

 

 

わたしはイエローモンキーのアルバムの、映画館に着席するや否や、未体験の演出を食らって知らない世界に強引に連れて行かれる、みたいなのが好きだった
オープニングでさらわれて、上映が終わる頃には二度と元の自分に戻れなくなるところが好きだった
19年前はスクリーンのあなたが見てる景色が見たくて、同じ映画の中にいきたくて、精一杯背伸びして必死で未来を手繰り寄せた
19年経って、いや映画館出たときって毎回世界に対して戸惑うよねえ~って言いながらいつもの道に戻る、上映前よりちょっとぴかぴかで素敵になった心で、あとこの季節の空気の匂いわたしも知ってるな、なんつってさあ

そんな、今までと違う手法で始まる新しい映画をいま、観始めたのかもしれない

 

 

 

わたしにはわたしの生活があって、バンドにはバンドの世界があって
でもわたしとバンドは同じ音楽を信じることでとりあえず今日も繋がってて、同じように道を歩いてる

歩いていればバンドの気配を感じる

なんかそれしかないけど、わたしには、それもう他にないくらい幸せなことなんすよね
わたしがイエローモンキーの音楽と、こんなふうになれる日が来るなんてなあ