楽園が出たときの
「昨日までの自分の世界に、クソヤベエ黒船がきた!!!!!」
みたいなドキドキ感を覚えている

世間が言うほど洋楽的ではなかったけど、テレビから流れ出る日本の音楽の型からの自由度は抜群で、
とにかく不敵で不謹慎で自信に溢れていて、どんな詐欺師よりいかがわしいのに、当時知っていたどの音楽より無垢で誠実に見えた
この音楽にくっついて、みたことない世界に連れ出して貰える、そこでわたしの知らないわたしになれると思った
ジャケットも腹立つし笑
猫も連れていこう、の余裕なんて、涙が出るほどかっこよかった

ファンの数だけバンドの枕詞、オリジナル肩書があると思うけど、
わたしにとっては「この世でいちばんカッコいいのは音楽だ」と教えてくれたバンドで、わたしと音楽でサイコーに楽しい約束をしてくれた人
15歳のわたしに、自分はこうやって生きたい、と、自身の人生の選択を初めて自身でさせてくれたもの




ところで

音楽がすきな人でなくなり久しい
日常的にも聴かない
サブスク垂れ流してはいるけど、歌詞を訳したりネットで主義思想を探したりインタビューを読んだりルーツミュージックをしらみつぶしに聴いたりしなくなったし、そもそも関係ない仕事をしている
それはつまりわたし理論での、音楽がすきな状態のわたし、ではない


商業ライブから離れたのは、年50回行ったようなバンドが業界の顔色伺いをしだしてライブがクソつまんなくなったから(※本人もシステムも憎い)
製作から逃げ出したのは音楽を傘にしたカスみたいなことばかり続いてわたしの根性が破滅したからで(※己の全てが呪わしい)、
そこから一筋の希望で引き揚げてくれた音楽も、やがて、止まる、わたしが無力なせいで
音楽や詩と結婚して添い遂げられないのは、自分が音楽にも詩にもなれないままだから
わたしは音楽になれなかった
今でも、未だに、せめてロックンロールハイスクールの生徒でいたかった
卒業なんてしたかったわけではない、離れたくなかった、好きでいたかった
でも叶わない
それも、わたしが自分で選んだ人生


音楽のない人生を粛々と送る、正直もうたくさんだったし、烏滸がましくも自身への罰でもある
音楽が好きで居続ける(わたし理論で)人を眩しく思ったりしながら、もう一度音楽好きなわたしに逢いたいとたまに苦しく思ったりしながら、
音楽すきなんやって?と問われては、無様に笑いながら否定をして
全てが流れる景色のようで

だったはずなんだよ



2016年、ザイエローモンキー、復活
最早わたしはわたしではない、卒業した、昔のことだよ、なれずじまいだったんだよ、のかたまりとしての体を引き摺ってきたわたしを、バンドは代々木のイントロのあのワンストロークだけで全部剥がして15歳のわたしに戻した
誕生日にもライブがあって、追加で取れた奇跡のステージ真横スタッフ丸見え席で「つまりこうなりたかった」をうやうやしく見学、それはそれは盛大な葬式みたいで

びっくりした
わたしのことを知るはずがないのに、なんで音楽だけでそんなことができるの



どんな体たらくでも好きなら好きでいいし、それでずっといつまでも苦しくてもいい
仕切り直して今から新しく探してもいいし、やり直したくて何度みっともなく足掻いてもいい、
「なれずじまいだったわたし」の派手な葬式が出て、はい!これからまたあなたの知らないあなたになれるよ!って

音楽を好きでいられなくなった、音楽になれなかったわたしがどうしても迎えにいけないあのときのわたしを、また、同じバンドが迎えにきた
相変わらず悪夢みたいにかっこいいのに、50歳で、膝にも胸にも傷を抱えて、大して隠しもしないまま






2017年末、今までなかった経験をした
ライブをみながら、それに応じるように、自分の内側で音楽のようなもの?が流れている気がする
うまく言葉にできないし、まして音楽にすることはないけど、禊の結果か、ザイエローモンキーによる医学的効果か笑
人生にこんな尺の長いブーメランが仕込まれてると思ってなかった、1番すがりたい瞬間には手に入らなかった、バンドもなかった、
なんか悔しいけど笑えるし、バカみたいだ!と笑ってほしいです


音楽がすきとは、多分これからも言わない
他人に測られる必要もないし、自ら状態を名乗るのももうどうでもいい
わたしは誰かの音楽と並走したくて、出来なくて、諦めたつもりの人生を長く送ってきました
それは車窓を流れていくわたしの過去の景色


これからの人生には、ザイエローモンキーの新しい音楽が寄り添ってくれるらしいよ
何のどんな御褒美だよ!遅いよ!
でも嬉しい、ありがとう

あなたの音楽を好きになって、自分が自分になれたことが、これからも自分になっていくことが、
今までもこれからも、わたしの誇り