この世で一番恥ずかしい話(恥の多い人生2)

いちばん最初に「グワァァァ」となったのは、小6のときに立読みした中島らもです。
激おセンチメンタルが序文みたいに置いてあり、ギャグ下ネタ自虐等でしばらく煙にまかれたあとにいよいよ「おセンチメンタルの連合艦隊」みたいなやつがきて、
THE大阪(関西)の男~!!!グワァァァ~!!!!!!ってなったせいで(略)その後の人生こうなりました。
なので、吉井和哉はそれに次ぐ2人めのグワァァァ。
今日は、その次の、3人めだった人たちの話を。

 


最初の職場で酒売りのバイトから制作アシスタントに昇格したころ、事務所で仕事してたらリハから異常にかっこいい音が出始めて、上司と「なんやこれ誰や!」ってホールまで走ったことがあって、それがそのバンドでした。
商業ベースから降りた伝説の人か近所の専門学生、あとは地元のロックポップス歌ものがメインの場所にいきなりモグワイ(グレムリンなってもうてるやつ)みたいなのが来て完全に嬉しくなってしまい、上司がそれをバンドにチクッたせいで走ってきたボーカルに胴上げされました。いや挨拶もしてないw
扱いにくいとばかり言われて音楽良いって言われるの少ないから嬉しかった、と。
でもマジで次に来たときはライブ中滅茶苦茶怒って最後さっさとステージから消えてしまったし、その次はなんかしらんけど坊主でした。

 

インディーズだってコピバンだって、自分のステージに対し適当な仕事をされたら怒る、お客さんからお金もらう側の共同製作者として対等なのに、そこ愛想笑いでスルーは出来ないし、自分が信じた音楽のためにもそんな付き合い出来ない。
バチクソ怒って自分の機材投げまくったあと塞ぎ込んで泣いてたりしてて、音の切れ味と歌詞と生活が偽りなく同じで、これまでこんなに音楽がすきと言いながら、やる側のそうした部分を見たのは初めてでした。
おかしいやんけ!ってすぐ喧嘩して仕事クビになってホームレスやってる人誰もいなかった。
おかしい側がミュージシャンとお客さんを見下して、それがそれなりの仕事と思ったまま食えてるのしか見てこなかった。
(ちなみに4人中2人ホームレスだった)
(スタジオこんかったなと思ってたら捕まってたとかあった)

 

 

その頃はもうわたしが仕事うまくいってなく、顔向け出来るような仕事ができない自分も嫌だし相手に旨味もないし、バンドがつらいのみるのもつらいのに、信じられる唯一が痛みで、それを使って話しかけてくるやり方を忘れるわけには行かなくて、ときどき都合つけて観に行った。連絡するとゲストになるし、約束はうしろめたいから当日券で。
いつも体調最悪とか、メンバー抜けて地獄みたいな罵り合いしてて、ワァ…。
でも必ず「ここから出たい」って諦めないライブだった。お客さんもいろんな人がいて、無条件に良くしてくれたお姉さんたちも、痛みのプロみたいなかんじの笑


そんなこんなで、初めてのワンマンに呼ばれるのですが、明るい曲なんか1曲もないしそもそも曲ないしいつも光もささない地の底なのに、精一杯集めたお客さんの前でしたライブが、最強で最凶にかっこよかった。
前情報なしで初めて聴いたときと同じ、ただ純粋に曲と演奏がかっこよくて、びっくりして号泣。
痛みの共有ではなくて、互いにそれを超えられたらこんな景色があるからそこで逢いたい、って、ずっと音にしていたのだと思った。
号泣してたら同じく号泣してるお姉さんたちにめちゃくちゃキスされました。
イエローモンキー以外で、しかも同じ音楽という方法で、こんな祝福されることあるはずないと思ってたよ。

 


15からそれまで、音楽のなにかを仕事にしたいと思ってきたのは、ペイフォワードの概念がなかったせいで「イエローモンキーにされたことはイエローモンキーに直接還したい」と思っていたから。イエローモンキーと仕事で対等になりたかった。
それがここで「イエローモンキーにされたことを、わたしは目の前のこのバンドに還元するんや」と思ったんでした。イエローモンキー解散してたしね。

 

 

 

より役に立つ仕事がしたくて転職~辞めるまでの流れは前回の通り。
辞めて虚無のときに、バンドのこと手伝ってほしいと言われました。
2回くらい遠慮して、3回めに「いや虚無だし楽器わからんしなんにも出来ないから!」と言ったら、ベースに「元の仕事絡みの成果はなにも期待しない。自分たちはこの音楽を信じてライブしてる、この音楽を同じだけ信じて同じものをみて、一緒にやれて、居なくならない人に、連絡系統とか手伝ってほしい。基本俺がやってたけど、ちょっとしんどくて、助けになってほしい。」と言われて、


…フーン………ってなってやることになったんですけど、
これえらい求愛だよね(今更)。
ここまで、ベースと話したことなんてなかった。

 

して貰ったことのほうが多かったと思う。
殆んど泣きながらステージから転がり落ちてくるボーカル抱き止めたり、MCで完全に自分宛に檄とばされたり、夜通し高速を走りながら助手席で喋り続けたり(お前の運転する車には乗りたくないから免許はとらんでもいいと言われた…)、わたしのキモいCDライブラリを参考に勉強会?されたり、メンバー代理で打ち上げ出てテキーラ持って走ったり、俺らが怒るより先にお前がライブハウスと喧嘩すな、って言われたり。
会社をダッシュで出てスタジオの扉を開けたら、なんじゃそれ!!!ってくらいかっこいい新曲出来てて、お前なんじゃそれ!!!!!!!!!みたいな歌詞いきなり吐き出してたりして、わたしはわたしで人生頑張ってはきたけど、ご褒美が過ぎやしない?
こんなかっこいい音楽のいちばん近くにいることを許されるってそんなんある?


わたしが当時好きだったのはサッドコアと実験音楽で、バンドは元々レイジとモグワイとNINが好きなオルタナだったのだけど、ライブハウス照明に嫌気がさしてVJがついたり、あの曲タイトルつけたよーって送ってきたメールに「全一」って書いてあって卒倒したりした。バタイユ超すきなんて、わたしそいつに一言も言ってなかったんだけど!?

 


別にメンバーとぜんぜん仲良くなかったし、わたしはそのとき本当に他のどこにも属する場所がなくて、信じた音楽でのみ繋がってそこに身を寄せてた。でも多分みんなそう。
車中泊で目をさましたら、友達でも家族でも恋人でもない、お互いを絶対裏切れやしない「音楽みたいなのたち」がそこにいて、はいこれ後家のぶん~ってコンビニおにぎりくれたりした。
黙ってたけど子供おんねん、って家族にあわせてくれたり、さみしくて帰る場所がないって言うと彼女んちに泊めてくれたりした。

 


バンドは関西、だけどわたしは身一つでどこへでも行けるから!東京引っ越してなんか音楽の仕事するわ!そのほうが役にたつし!でもさみしいな!って酔っ払って泣いたりしたな。楽しかった。
ドラムが抜けるときに泣きながら「ボーカルは俺のヒーローやねん、今の自分では一緒に居続けられない」とか言われたし、わたしも「この音楽にはドラム必須やねんからそんな事情知らんやん、わたしに関係ないやん、バンドのために殉職せえよ」とか泣きわめいてそのまま会社やめたりした。

 

 


非常に狡い言い方をするけど、わたしがなんでそこを絶って違う人生を選んだのかは、よくわからない。
バンドはかっこよくて、ボーカルとベースふたりのインプロになっても、わたしが信じた彼らの音楽はなにも変わらなかった。
ドラムいなくなって自分が会社やめちゃったあとも、自分は変わらないと思って、相変わらず告知したり東京の友達のアート古本屋にデモ置いたり芸術屋捕まえたりプロモーターやA&Rに押し付けたりリハスタでかけて貰ったりしてた。
なんとなく覚えてるのは、そのうちいよいよ自分の家に帰れなくなってきて、家があるのに毎晩ネカフェで号泣してたこと。
とにかく横になりたくて5年ぶりくらいに実家に帰って、次のライブの調整とかを電話していたら親と喧嘩になって、実家の前の公衆電話から「次のライブはいけない、というか、もうやれない」と泣きながら電話したと思う。
一言も責められたりしなかったけど、データをぜんぶ郵送して一方的に終わりにした。
どうでもいい仕事して恋人出来て、「これさえあれば他になんにもいらない」と引き換えに、他の全部が手に入った。
実は何年もあとに再会して、音楽じゃない事業を手伝って、最後は「わたしの人生にあんたはいらん!!!」って絶交したりして改めて正しく終わりにできるのだけど、それはまた別の話。

 

 

つまり今になってわたしが何を言うのも、ダサいことこの上ないんだわ。
イエローモンキー関係ないし。
でもいまのイエローモンキーがいる人生、の前、イエローモンキーがいない人生で、これだけ強い思いがあったことは事実だし、誰にも関係ないことだけど、
わたしはわたしのことを、これから死ぬまでずっと信用できない。
イエローモンキーがこの先どれだけわたしを幸せにしてくれても、これがあるから。


彼らの音楽はネット上で探しても探してももう出て来ない。音源も手売りしかしてないし、わたしのものじゃないから曲も歌詞も共有して誰かに伝えられもしない。

本当に、わたしはなんの成果も残せなかった。

 

 

せめて、当時わたしが口癖のようにしていた内容、中島らもがアンリミショーから引いた言葉を、その日ライブでマイクスタンド蹴り倒してからMCで引用して、それにボソッと付け足したこと、後に文章にしていたことだけ、書いとく。

 

 

「詩は日常に対して垂直に立っていて、誰かが声を枯らして叫ぶのも、わたしの耳には届かない。
詩ではあれないわたしは、音楽を聴いてる間だけ、息継ぎのようにして呼吸ができる錯覚をしている。
でも、もしも同じ速さで生きることができたなら、違う場所でも、わたしも偶然その声を拾うことが出来るかもしれない。なりふり構わず走れたら、あなたの言うことが少しだけわかるかもしれない。少しだけ、あなたになれるかもしれない。」

 

 

 

言われたのはこれ。

「お前はお前の好きなようにお前を走ればいい」
「俺はいつだって全身全霊で青い炎になって、お前を凍てつかせてやろうと思うよ」

 

 

 

 

 

こんなの忘れるわけない。
これを投げ出したわたしには、この後に及んで音楽が好きだなんて言う資格はどこにもない。

わからないなんて嘘で、理由はわたしがいちばんよく知ってる。音楽を信じ続けるのを自分から辞めたからだ。

 

 

 

音楽が好きだなんて言える日は、この先いつになっても、こない。